2008/11/04

ソルジェニーツィン「収容所群島」

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
  • 発売元: ブッキング
  • 価格: ¥ 3,675
  • 発売日: 2006/08/03

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『収容所群島―1918-1956 文学的考察』(1973~1975年)を読了しました。
『収容所群島』は、全6巻です。トルストイの『戦争と平和』を上回る大長編でした。

痛くて痛くて、何度も読めなくなりました。
ほんとうに、絶望が行動の原動力となるのだということを、つよく感じました。

私はそこで過ごした十一年間を恥だとも呪わしい悪夢だとも思わず、かえって自分の血とし肉とした。いや、それどころか、私はあの醜い世界をほとんど愛さんばかりであった。
(木村浩訳、第1巻、序文)

◇◇◇

本書は、ソルジェニーツィン自身が「自分の目と耳を働かせ、自分の皮膚と記憶に焼きつけて《群島》から持ち出したもの」と、「総計二二七人に及ぶ人びとに物語や回想や手紙」をもとに織られた"収容所群島の歴史"です。この長大なタペストリーには、《群島》そのものの物語とその機構のからくり、《群島》の住人たちの物語、その住人の一人であったソルジェニーツィン自身の物語という三つの絵が巧みに織りこまれています。

本書におけるソルジェニーツィンは、まさに"真実の歴史"の語り部であると言えます。したがって、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ガン病棟』、『煉獄のなかで』のような文学作品とは大きく形式が異なります。ソルジェニーツィンの"語り"が、「氷層に閉ざされた」《群島》の氷を融かし、「まだ生きている肉」としてわたしたちに訴えかけています。

その"語り口"は、ソルジェニーツィン独特の反語を駆使した苦いユーモアです。革命後のソビエト体制、イデオロギーに対して激しく揶揄嘲弄し、完膚なきまでの批判を加えています。ときに挑戦的な攻撃調があり、脱獄囚たちの痛快な冒険譚があり、イワン・デニーソヴィチのような民話風の"語り"がありと、縦横に使い分けながら、重い事実を積み重ねていきます。
そして、ソルジェニーツィン自身の収容所におけるキリスト教への回心-信仰を受け入れ、内なる力にめざめていく過程-が、祈りにも似た静かなことばで告白されるのです。発刊当初から、本書がダンテの『神曲』と比較されてきたことは、そのためではないでしょうか。
ゆえに本書は、激しい"憤りの書"であるとともに、"祈りの書"でもあると思いました。

◇◇◇

印象に残った箇所をいくつか引用しておきます。

靴の泥を落とさなかったことがどうだというのか? 姑がどうだというのか? 人生で一番大事なこと、人生のすべての謎を、お望みなら私がさっそくあなた方にぶちまけてさしあげようか? はかないものを-財産や地位を追い求めてはいけない。そうしたものは何十年も神経をすりへらしてやっと手に入るものだが、一夜で没収されてしまうのだ。生活に超然とした態度で生きなさい。不幸におびえてはいけない。幸福を思いこがれてはいけない。結局のところ、辛いことは一生涯続くものではないし、一から十までいいことずくめということもないからだ。凍えることがないならば、飢えと渇きに苦しめられることがないならば、それでよしとするのだ。背骨が折れておらず、両脚が動き、両腕が曲がり、両目が見え、両耳が聞こえるならば、いったい誰を羨むことがあろう? 何のために? 他人に対する羨望は何よりも私たち自身をさいなむものだ。目をさまして、心をきれいにしなさい。そしてあなたを愛してくれる人びとを、あなたに好意を寄せてくれる人びとを、何よりも大切にすることだ。そういう人びとを立腹させてはいけない。罵ってはいけない。そういう人たちの誰とも喧嘩別れをしてはならない。ひょっとすると、それが逮捕される前のあなたの最後の行為となるかもしれないのだ! あなたはそのままその人たちの記憶にとどまるかもしれないからだ!(第2巻、pp.563)

われわれの足もとから石がくずれ落ちる。下へ、過去へむかって。それは過去の亡骸なのだ。
われわれは昇っていくのだ。(第4巻、pp.598)

われわれはもう何年も全ソ連邦の徒刑地でひどい労働をしている。そしてわれわれはゆっくりと年輪を重ねるように、人生理解の高みにのぼっていくのだ。その高みからは手に取るようにわかる-重要なのは結果ではないことが! いや、結果ではなくて、その精神なのだ! 何をしたかではなく、いかにしたかなのだ。何が達成されたかではなくて、どんな犠牲を払ってやったかなのである。
われわれ囚人の場合も、もし結果が重要ならば、どんな犠牲を払っても、生き残ること-という真理も正しいのだ。ということは-密告者になり、仲間を裏切ることであり、その報酬として良い場所を与えられ、ひょっとしたら、期限前の釈放も許されることである。《絶対に誤りのない教義》からすれば、ここはいかなる欠点もないだろう。もしそうならば、われわれに有利な結果となる。そして、重要なのは-その結果なのである。
誰も反対しないだろうが、結果を得ることは気持のいいことだ。しかし、人間らしさを犠牲にしてまでではないのである。
もし結果が重要なら、一般作業を避けるために、持っている力や能力を総動員しなければならない。頭をさげ、機嫌をとり、卑劣な行為までして、特権囚の地位を維持しなければならない。そして、そのことによって生き残るのである。
もし本質が重要なら、もはや一般作業を受け入れなければならない。ぼろぼろの衣服にも、むける手の皮にも、少量で粗末な食べ物にも、耐えなければならない。いや、ひょっとすると、死ななければならないのかもしれない。だが、生きている間は腰痛に耐えて、誇りをもって振舞わなければならない。そんなとき、つまり、あなたが脅しも恐れなくなり、報酬を追求しなくなったとき、あなたは主人たちのフクロウの目に最も危険な人物として映るのである。なぜなら、あなたを攻める方法がなくなってしまったからである。(第4巻、pp.600-601)

では、どうして本当に信心深い人びとは収容所でも堕落せずにいられるのだろうか(彼らのことはすでに一度ならずふれている)? われわれはこの本のいたるところで彼らが《群島》のなかで自身に満ちた足取りをしていることにすでに気づいてきた-それはまさに目に見えないろうそくを手にして黙々と進む十字架行列の人びとみたいだ。機関銃で射たれたように、行列のなかの人が倒れると、次の人がすぐその場所に立って、また歩きつづけるのである。これこそ二〇世紀には見られない不屈の精神ではないか! しかも、それは絵のように目立たず、日常的なのである。たとえば、それはどこかその辺のドゥーシャ・チミーリおばさんである。丸顔の落ちついた、まったく読み書きのできない老婆である。(第4巻、pp.614)

彼らには有利な条件があるのだろうか? そんなことはない! 《修道女たち》は常に売春婦はあばずれ女どもと一緒に懲罰独立収容地点にしか収容されていなかったことが知られている。それなのに、信者たちのなかで堕落した者がいるだろうか? 死んでいった者はいるが、堕落した者はいないのではないか?
また、一部の動揺していた人びとがほかならぬ収容所のなかで信仰を受け入れ、それによって強くなり、堕落せずに生き残ったという例はどう説明すべきだろうか?
さらにまた、多くの人びとは、バラバラになっていて目立たないけれども自分の定められた転機を体験して、その選択を決して間違わないのである。それは自分だけが辛いのではない。自分の隣にもっと辛い、もっとひどい状態におかれている人びとがいるのだ、ということに気づいた人たちなのである。(第4巻、pp.615)



読了日:第1巻 2008年9月27日 / 第2巻 10月5日 / 第3巻 10月11日 / 第4巻 10月17日 / 第5巻 10月22日 / 第6巻 10月30日

2008/11/01

ソルジェニーツィン「風にゆらぐ燈火」

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火-汝の内なる光-』(1969年)を読みました。
ソルジェニーツィン追悼月間です。

◇◇◇

『風にゆらぐ燈火』は、1960年の"ラーゲリの外"を描いた戯曲です。
"ラーゲリの内"を描いた『鹿とラーゲリの女』とは、対をなす設定と言えます。
主人公アレックスは、刑事犯として10年の刑期のうち9年をつとめあげ、あと1年というところで殺人の真犯人がみつかり、釈放された元徒刑囚です。釈放後5年を経て、叔父のマヴリーキー宅を訪ねる場面から劇がはじまります。

本作では、都市に暮らすソビエト市民の「健康で人生を楽しんでいる」生活が描かれています。
音楽学校の教授である70歳のマヴリーキーは、「月刊食通」を購読し、自ら料理を楽しみ、「食事は人生の快楽」と断言します。
彼の自宅にはガス・レンジ、電気冷蔵庫、レコード棚があり、ステレオからはベートーヴェンのピアノ・コンチェルト二番の歓喜にあふれるロンドが流れています。
19歳の息子ジュームは父親に水上スキーをねだり、40歳の妻チーリヤは315馬力「バーガンディ・スプラッシュ」色のカブリオレ・スーパー88が持ちたくてしょうがありません。
彼女は、国際評論誌「アルゴル」の編集所で働くジャーナリストです。彼女によれば、「国内の方はわが国では万事オーケーだから、書くことがない」ため、「海外諸国の経済上の欠陥、その社会的病患の展望」を扱っており、「平和のために、力の均衡がわたしたちの側にいつも有利になるように闘っている」のです。

マヴリーキー  失われた年月というやつだな!
アレックス    いや、失われたというわけではありません。これはむずかしい問題です。もしかすると、かえって、必要な年月だったかも知れません。
マヴリーキー  どうしてまた「必要」だなんて? するとなんだね、お前の考えでは、人間には投獄は欠かせない、ということになるのかね? 監獄だなんで、こいつあみんな世の中から消え失せちまうがいいんだ!
アレックス    (溜息をつく)いや、そんなに手軽にはいかないのですよ。ぼくは、監獄よ、汝に祝福あれ、ということだってあります。
ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

このように言うアレックスは、釈放後そのままカレドニアに5年留まり、「九年じゃ足りなかったので、残って考え足し」ていました。一方、アレックスと小、中学校、大学、戦地でも一緒だった三十年来の親友であるフィリップは、同じ罪でラーゲリ生活を送りながらも、アレックスとは正反対の立場をとります。フィリップは、ラーゲリのことを周囲に隠し、「なかったこと」にしました。

アレックス    おれにはわからないな。おれは監獄にいたことを恥と思ってない。たいへんためになったし...
フィリップ    ためになった? よく君はそんなことがいえるな。ここのこの修理工用の大ばさみで、命の一片-やわらかい神経、赤い血、若い肉、をきりとられたようなもんじゃないか。おれたちは石切り場で猫車を押したり、鉱山で銅の粉を吸いこんだりしていたのに、奴らはここの砂浜でぬくぬくと白い肌のからだを伸ばしておれたんだ。アル、逆だよ、とりもどすんだ、モーレツにとりもどすんだ! (拳を振りまわす)人生から二倍でも三倍でもふんだくってやるんだ! それがおれたちの権利というもんだ!

釈放後、フィリップは、アレックスがカレドニアに留まっていた5年の間に学位論文を提出し、大学附属の生物サイバネチックス研究所の創設に奮闘し、研究所所長として実績をあげ、「もりもり上に昇っている」のです。あと二、三か月もすると博士になり、教授になる計算です。マヴリーキー宅の隣にあるフィリップの自宅には、ピアノ、ステレオ、電話のある大きな客間、テレビのある小さな客間があり、休日にはジュームがうらやむ水上スキーを楽しんでいます。

他方アレックスは、都市には「有害なのと無益なのとそれから鼻もちならんほどつまらないのと、あるだけ」であると実感し、「何ももたないから、何も失う心配がない」生活を選ぶのです。

◇◇◇

ラーゲリの"内と外"に対する、この二つの異なった受け取り方は、「苦しみ」をどのように位置づけるかに対応しています。それはすなわち、「幸福」をどのように定義するかということでもあります。
フィリップの研究所に実習生としてアフリカからきているカビンバと、アレックスは次のような対話をします。

カビンバ     ...みんな金持ちで、苦労がない。あの人たちには、ほかの人たちがなんで生きているのかわかることはない! わたしはあの人たちにくっついた自分を憎んでいます! あの人たちをみんな憎んでいます!
アレックス    カビンバ君! そう、ぼくもあの人たちからすっかり遅れてしまった。監獄のせいでね。だからといって、どうする? 彼らを押しのけるか? 彼らの鼻っぱしをなぐりつけるか? カビンバ君! 憎悪、憤懣というやつはなんのたしにもならない。地上で最もむなしい感情なんだ。高みに立って理解しないといけない-君とぼくは幾世紀か何十年かを喪くした、ぼくたちは侮辱され、おとしめられたけど、復讐するというわけにはいかないのだ。それに、その必要もない。いずれにしても、われわれの方が彼らよりも豊かなのだ。
カビンバ      (憤然と)われわれが? 何が豊かなのですか? 何が?
アレックス     非常に苦しんできたことさ、カビンバ君。苦しみは魂の成長の核心だ。満ち足りた者は常に心の貧しき者だ。だからそっとゆっくり築いていこうじゃないか。

「苦しみは魂の成長の核心」であるという確信が、アレックスに「監獄よ、汝に祝福あれ」と言わせるのでしょう。わたしはアレックスの、「人生の充実感は善い原因からも悪い原因からも起こり得る。学者の人生も充実していれば、病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆の人生も充実している。」という言葉が、すごく好きです。

◇◇◇

本作の「汝の内なる光」という副題は、新約聖書のルカによる福音書第11章33節~36節からきていると思います。"病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆"であるフリスチーナおばさんが、マヴリーキーの死に際してローソクのともし火のなかで、「誰も燈火をともして、穴蔵の中または升の下におく者なし。すべての者の光を見んために、燈台の上に置くなり/この故に汝の内の光、闇にはあらぬか、省みよ」と読み上げる言葉に、本作の副題が織りこまれています。

ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。
ルカによる福音書第11章33節~36節(新共同訳)

表題である「風にゆらぐ燈火」とは、内なるともし火-アレックスの言う「内面的道徳律」-が、「幸福者の船」である「バーガンディ・スプラッシュ」に乗り、水上スキーで遊び、「もりもり上昇」することを求める"風"にゆらぎ、今にもかき消されそうになっている現代の状況を意味しているのだと思います。わたしのなかのともし火は、濁っているでしょうか、明るいでしょうか...。



読了日:2008年9月17日

2008/10/06

「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督)


黒澤明監督「デルス・ウザーラ」(1975年、原題 Дерсу Узала)を観ました。
モスクワ国際映画祭金賞、そしてアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞しています。

原作は、ウラディーミル・アルセーニエフ『デルス・ウザーラ』(1921年)で、著者アルセーニエフ(1872年-1930年)が、20世紀初頭にロシア極東地域を調査した探検記です。
1930年にモスクワで出版され有名になり、日本には1941年に紹介されました。


黒澤監督は、助監督時代に『デルス・ウザーラ』を読み、一度は、舞台を開拓時代の北海道に移して映画化しようと試みましたが、どうしても大自然のスケールの点から、日本の話に置き換えるのは無理があり、放棄されていたテーマでした。
ソ連では、黒澤監督の評価が非常に高く、黒澤監督に、ソ連で映画を作ってもらいたいという提案はソ連側からなされました。
当時、自殺未遂事件で再起を危ぶまれていた黒澤監督は、若い頃からの夢だった『デルス・ウザーラ』で、復活を遂げたのです。

ハリウッド進出の失敗から、黒澤監督は覚え書き「私の監督方針大要」を書き、演出や撮影方法を的確に伝えました。
黒澤監督に強い敬意を払っていたソ連側は、彼に全面的な協力を惜しまず、黒澤の芸術上、創作上の意見を100パーセント尊重したそうです。

◇◇◇

1889年、ウラジオストクへ赴任してきたウラディーミル・クラヴジェヴィチ・アルセーニエフは、その地で義勇兵部隊の隊長を拝命し、沿海州地方の地理学的、戦略的研究のための探検を開始します。
1906年にウスリー地方の本格的調査に着手した直後、野営中に出会ったナーナイ族の老人が、デルス・ウザーラでした。
ナーナイ族は、ツングース系の少数民族で、アムール川流域に居住しています。
作品中では、ナーナイの旧称であるゴリドが使われていました。

デルス・ウザーラは、家族をすべて天然痘で失い、一人で密林で猟をして暮らしていました。
アルセーニエフは、森に詳しいデルスに探検行のガイド役を頼みます。
河の氾濫、猛吹雪、猛虎の出現などが一行をまちうけますが、その度ごとに、タイガで身につけたデルスの驚くべき洞察力と知恵によって切り抜けます。

しかし64歳の黒澤監督は、力強い漁師としてのデルスのすばらしさに焦点を合わせるのではなく、迫りくる老いと死の恐怖におびえ、生の輝きが衰えたデルスに眼差しを向けています。
アルセーニエフの回想という形式をとったことによって、彼のデルスへの深い共感と厚い哀惜の気持ちが、全編を満たしています。
「小さな人間」の前では、シベリアの大自然は、あまりにも美しく残酷です。

◇◇◇

文法がめちゃくちゃな、単語だけのロシア語を話すデルスの姿が、ユーモラスに描かれています。
デルス役は、トゥヴァ族出身のマキシム・ムンズクが演じています。
トゥヴァ族は、ナーナイ族と同じロシアの北方少数民族で、エニセイ川源流域に居住しています。
「デルス・ウザーラ」は、北方少数民族の自然観や、自然観と密接に結びついたシャーマニズム信仰を分かりやすく描いた、貴重な作品だと思います。
デルスは、火も水も生きている「人」として扱い、話しかけます。
彼にとっては、太陽が「一番えらい人」であり、月が「二番目にえらい人」なのです。


アルセーニエフが、デルスと共に探検を行った1906年は、日露戦争が終結した翌年にあたります。
19世紀、ロシアのシベリア進出が行われましたが、シベリアのさらに東の沿海州は、1858年に清との条約で、清とロシアとの共有地とされていました。
1850年にロシア領となり、1882年には、沿海州南端のウラジオストクがロシア太平洋艦隊の基地に、そして1901年には、シベリア鉄道が開通。
さらに1903年には、シベリアのハバロフスクとウラジオストクを結ぶウスリー鉄道が完成して、帝政ロシアの極東への進出が本格化します。
翌1904年、これをアジアにおける脅威とみる日本との間に日露戦争が起こり、ロシア海軍の軍港であるウラジオストクは日本海軍の封鎖作戦を受けます。
すなわちアルセーニエフは、帝政末期の動揺の時代に生きたロシアの軍人でした。



鑑賞日:2008年7月14日

2008/10/04

「チェブラーシカ」(ロマン・カチャーノフ監督)

チェブラーシカ [DVD]
チェブラーシカ [DVD]
  • 発売元: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
  • 発売日: 2008/11/21

ロマン・カチャーノフ監督「チェブラーシカ」(1969年-1983年、原題 Чебурашка)を観ました。
チェブラーシカとワニのゲーナは、ロシア・アニメでもっとも人気のあるキャラクターのひとつです。
今年、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供作品として、再び劇場公開されることになりました。

チェブラーシカ・シリーズは、「ワニのゲーナ」(1969年)、「チェブラーシカ」(1971年)、「シャポクリャーク」(1974年)、「チェブラーシカ学校へ行く」(1983年)の全4話です。
もともと大好きな作品でしたので、たくさんの人に知ってもらえる機会ができて、うれしいです。

原作は、エドゥアルド・ウスペンスキーの童話です。
ロシアで出版されている絵本では、画家によってさまざまな絵柄がありますが、通常知られているチェブラーシカのイメージは、カチャーノフ監督のもとで美術監督を務めたレオニード・シュワルツマンのものでしょう。
日本でもキャラクター・グッズが販売されていますね。

◇◇◇

「シャポクリャーク」(1974年)の中で、工場廃水によって川の水が汚染されていることにゲーナが気づき、工場長に直接会いに行って抗議をするという場面が描かれています。
現代のわたしたちにとっては珍しくもない描写ですが、当時の状況を考えますと、実はとてもすごいことだと思います。

"母なるヴォルガ"は、スターリンが30年代に川沿いに産業コンビナート、ダム、運河をつくりはじめてから、自然破壊の限りを尽くされてきました。
かつてはいくらでもとれたチョウザメ(ロシア人の大好物であるキャビアのとれる魚)も、ほとんど姿を消したと言われています。
産業排水、特にアストラハンの巨大な化学コンビナートからの廃水が魚を殺し、ダムが上流の産卵場への道筋を断ち切ったためです。
1989年のはじめに、ヴォルガを守るための委員会がモスクワで設立され、農村派作家グループの指導者的存在であったワシリー・ベロフが委員長を務めました。
彼らは、ダム湖をなくし、汚染を減らし、チョウザメをよみがえらせることを求めました。

しかしこのような視点は、70年代後半における公式路線からはかけ離れていました。
当時は、『ソ連における自然破壊』という批判的な小冊子を書いたソ連政府の職員が、原稿をこっそり西ドイツに持ち出さなければならない時代だったのです。
そのため、70年代前半に子供向けアニメのなかで、環境汚染に対する批判が描かれていることに、今回あたらめて驚かされました。


チェルノブイリ原発事故をはじめ、アラル海の死、カザフスタンの原発からの有毒ガス放出、ポーランドやチェコスロヴァキア、東ドイツの深刻な大気汚染など、同様の恐ろしい環境破壊の事実は多くあります。
アニメでは、抗議を無視して廃水を垂れ流しにする工場を、ゲーナがその個性を活かしてこらしめますが、実際に80年代には東欧各国で、環境保護団体が抗議活動を行いました。
ハンガリーにおけるドナウ川のダム建設反対運動は、80年代半ばの東欧の歴史の流れを変え、スターリン体制の崩壊に道を開くうえで、決定的な役割を果たしたと言われています。
ブルガリアでは89年にエコグラースノスチが結成され、大気汚染や黒海の汚染に反対して大衆集会を開いて1000人以上を集め、9000を越える請願署名を獲得しました。
このためメンバーの40人以上が当局によって逮捕され、暴行を受けました。
東ドイツでは、80年代の後半にアルヒェ環境ネットワークなどのグループが慢性的なスモッグに対してキャンペーンを行いました。
スモッグがもっとも深刻だったビターフェルトとライプツィヒが抗議活動の中心となり、のちにドイツ統一の呼びかけもここからはじまりました。

東欧の人々が生活してこざるを得なかった劣悪な環境に対する反発が、80年代の東欧の"反乱"に火をつける役割を果たし、その後の政治的変動を引き起こした引き金のひとつとなったのでした。



鑑賞日;2008年6月25日

2008/09/28

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』に登場する囚人、ロジオン・ニェーモフに注目してみましょう。

表題である「オレーニ」(鹿)は、ロシア人にとっては従順で臆病なトナカイのイメージであり、本書では「ラーゲリの掟」を知らない「お人好し」の囚人のことを意味しています。最近まで戦線にいた元将校ニェーモフは、まさに「オレーニ」です。彼のやさしさや正義感、道徳心がラーゲリにおける生活をより残酷なものにしていきいます。

ラーゲリ所長のオフチューホフは、作業主任に任命したニェーモフに次のように言います。

オフチューホフ それで、新しく来た奴らからいい品物をまきあげたか?
ニェーモフ おっしゃることがわかりません。
オフチューホフ ジャンパーだとか、皮外套だとか、絹のスカートだとか...自分でねこばばしておくつもりか?
ニェーモフ 失礼ですが、どうして、なんのために他人の品物をわたしがとったりしなければならないんですか?
オフチューホフ バカだな、生きるためだ! 「今日はお前死ね、おれはあしたにする」-これがラーゲリの掟だということを知らんのか?
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

「ラーゲリの精神」を実践することができないニェーモフは、謀略によってたやすく作業主任の立場を追われ、危険な一般作業に就くことになります。そして死の労働に従事しながらも、次のように言うのです。

ニェーモフ あのね、ぼくは、その、ときどき考えるんだけど...ぼくたちがもっているいちばん大事なものは結局命じゃないんじゃないかって気がする。
リューバ (じっと目を据えて)それじゃ、なんなの?......
ニェーモフ ラーゲリでこんなこと言うのはなんだか具合がわるいが...でも...良心...じゃないかって気がする。

◇◇◇

ソルジェニーツィンは『収容所群島』において、ニェーモフのような「オレーニ」がどのような道を辿るのか述べています。

すでに刑期の大部分を終えたこの収容所住人の表情には、残酷で毅然としたものが目立っていた(それが《収容所群島》の住人たちの民族的な特徴であるということを、私は当時まだ知らなかった。おだやかな、優しい表情をもつ人びとはたちまち《群島》で死んでいく)。彼は私たちがもがく様子を、まるで生後二週間の仔犬でも眺めるように、皮肉な笑いを浮かべて見ているのだった。
ソルジェニーツィン『収容所群島 2』(木村浩訳、以下同)

ニェーモフは、ソルジェニーツィンがブトゥイルキ監獄の第75監房で同室であった年若いブブノフのように、「その性格の純粋さと真っ正直さのために」、おそらくラーゲリで死ぬにちがいないのです。

彼のような人間はあそこでは生きられないのだ。



読了日:2008年9月17日

2008/09/27

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(1969年)を読了しました。

◇◇◇

1945年秋の、ラーゲリにおける数日間を描いた戯曲です。ソルジェニーツィンは、本作ではじめて女性の囚人たちの生活に光を当てています。
朝、まもなく日が出ようというところ、道路には囚人作業場へ出勤する列。汚れたぼろぼろの綿入れ胴着を着た男女の囚人たちでいっぱいです。その最後列には数人、小ぎれいな格好をした、作業現場でらくな仕事をしている囚人たちがいます。その中の「カッコイイ」服装のジーナは、作業現場のタイピストで、営繕係のラーゲリ妻です。女囚たちは、ジーナを次のように話しています。

―ジーンカったら、にくたらしい、新しいスカートはいているわ。
―マルーシカのスカートよ。マルーシカが転属させられるときに営繕係が脱がせたんだわ。
―営繕係とくっつけば殿様暮らしってわけね!(歌う)
あたしゃ、班長さんの情人(いろ)だった、
営繕係のご機嫌とった、
作業手配係と寝たことあるの、
だからあたしはスタハーノフカ。
―これで終わり。パン、片づけちまった。
―最低量なんか片づけるのがあたりまえさ。班長をみろ、自分と自分の女には一キロとってる!...
(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

彼女たちが揶揄するように、ジーナはラーゲリ生活において非常に優遇されており、楽な暮らしをしています。このように、権力のある囚人(作業主任、医師、営繕係、会計係など)や自由人の職員(主席技師、現場監督など)や警備関係の軍人(ラーゲリ所長、看守の軍曹など)と親密な関係を持ち、自分の立場を守る女囚は「シャラショーフカ」(=あばずれ→ラーゲリ女)と呼ばれています。したがって、表題である「オレーニ・イ・シャラショーフカ」(鹿とラーゲリ女)の「ラーゲリ女」とは、ジーナのような女囚を意味しているのです。
ソルジェニーツィンは、「シャラショーフカ―ラーゲリ女。尻軽で、別に強いられたわけでもないのにいろごとをやらかす者」と註をつけています。

◇◇◇

『鹿とラーゲリの女』では、男性の囚人もいくつかに分類できることがわかります。①権力を持った幹部、②軍人や幹部に賄賂を送り、一般作業に従事しない構内勤務員、③「ブラトノイ」と呼ばれる刑事犯、④一般作業に従事する一般の囚人の4種類です。①と②の囚人たちは、警備関係の軍人と同じく④にあたる大多数の囚人たちを搾取・抑圧する立場にあります。そのため、家族から差し入れの食糧・物資が多く届く比較的豊かな囚人は、どうにかして②になろうと、こぞって①に取り入ります。

メレシチェーン (ホミッチに)あんた、いいセーターもってるな。色が気に入った。
ホミッチ (身体検査のあとで、まだ着こまずに)そのうえ色があせないんですよ! 品をみて下さい!(さわらせる)外国製です。着ていたのは誰だと思います?スウェーデンの百万長者の息子ですよ。
メレシチェーン まさか?
ホミッチ (中略)どうです着てみてごらんなさい。あたたかくて軟らかい。
メレシチェーン どれ着てみよう。百万長者のせがれとは面白い。(着る)
(中略)
メレシチェーン そうか、ありがとう。いいセーターだ。あんたの名前をきかなかったが。
ホミッチ ボリスですよ。
メレシチェーン あんた、夕方わしの個室に寄ってくれ、話がある。あんたもおさまるところへおさまらんといかん。
ホミッチ (気軽に)お礼を申します。でもわたしは深刻がるのはきらいでしてな。能ある者はどこへ行っても大丈夫です!

医師のメレシチェーンは①であり、ラーゲリ所長とすら気軽に話せるほどです。所長は、メレシチェーンに次のように言います。

オフチューホフ さあ、ほしいものはなんでもいえ。お前には欲しいものはないな。お前は自由人よりいい暮らしをしている。食い物には見向きもしないし、女には不自由していないし、アルコールはわしの方がお前からもらっている。さあ、なんだ?州市(まち)へ一週間護送兵なしで出してやろうか?ありがたく思え、お前は五十八条だからな!
メレシチェーン 州市(まち)へですか?わるくない。
オフチューホフ わるくないなんてもんじゃない。ほんとは絶対にいかんのだ。しかしなんとかしてやる。お前が必ず戻ってくるのを知っているからだ。お前にはこんないい所はほかにない。ほかになにかあるか?

◇◇◇

③「ブラトノイ」たちは、窃盗・強盗・殺人などで逮捕された刑事犯であり、彼らは「働かない」ことを約束された囚人です。なぜならブラトノイは、「スターリンのおぼえがめでたい」、「社会的にみぢかな者」だからです。過酷な矯正労働に従事させられている大多数の囚人たちは政治犯であり、彼らは「社会的異分子」とみなされます。一方で、少数のブラトノイは「社会的新和分子」とみなされ、「ラーゲリが出来てこの方、ブラトノイが働いたためしはない」のです。
煉瓦積みの作業現場で、ブラトノイたちが作業班長であるガイに言います。

ジョーリック (上半身をおこして)班長、一服しましょうや。話があるんだ。なんとなく。
ガイ、すぐさま大またで彼らに近づきそばに腰をおろす。
フィクサートゥイ あのな、班長。あんたまだラーゲリの掟を知らねえんだ。おれたちゃ働かねえことになってる。おれたちが働いたってのはな、なんといおうか、あんたに敬意を表したまでなんだ。運搬台(もっこ)はもってってくれ。ほかの奴らにわたして働かせろ。
ジョーリック 早い話が、おれたちゃ掟どおりやってるってわけよ。わかったな?
ガイ 掟どおり?
ジョーリック そのとおり。
ガイ それで―パンは貰うことになってるのか?
フィクサートゥイ そうさ。そいつあいちばんでっかいやつをな。バランダはいらねえ、ほかの奴にやっていい。おれたちにゃ炊事場から運ばせるし、油っけにはこと欠かねえ。
ガイ 作業は誰がやる?
ジョーリック 働くのか? どん百姓どもがやるさ。いろんな小ものがな。それに政治犯の旦那方よ。

①、②、そしてシャラショーフカという囚人の型は、どのような集団においても存在し得るだろうなぁと思いました。その一方で、ブラトノイという存在には非常に驚かされました。
彼らはなぜ、「働かない」ことが掟となっているのでしょうか。ガイは次のように言います。「やつらの上司はおれたちの血を吸わすためにやつらを飼っているんだ。五十八条の者をやつらの餌食にしたんだ。監獄でもラーゲリへ護送中でもやつらと必ず一緒にする......」すなわち、一般作業に従事するしかない貧しい大多数の囚人たちを、より苦しめるシステムとして、ブラトノイたちは機能しているのです。



★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

2008/09/17

フレッド・ピアス 「緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線」

緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
  • 発売元: 草思社
  • 発売日: 1992/05

フレッド・ピアス『緑の戦士たち-世界環境保護運動の最前線-』(平澤正夫訳、草思社、1992年)を読了しました。
WWF、グリーンピース、地球の友といった有名な環境保護団体の成立過程や運動手法などが伝えられています。
それぞれの団体の個性やイメージ、力関係といったものは日本にいると見えにくいので、とても参考になりました。

◇◇◇

★WWFを育てた人々
  • マックス・ニコルソン
    ...イギリスで最初の公的な自然保護運動の組織を生み出し、1961年に世界野生生物基金(のちに世界自然保護基金と改称。略称はともにWWF)を創設するさいに、指導的な役割を果たした。
    ...ニコルソン計画:WWFの資金を得るために考えた「金持ちの良心とプライドと虚栄心に訴える方法」=各国の王室の人たちに加わってもらい、野生生物保護にあまり乗り気でない裕福な実業家や会社から寄付を集める計画。
    →彼の計画は成功し、WWFの創設メンバーにはフィリップ殿下、オランダのベルンハルト殿下、大金持ちの第1号となったスイスの巨大化学工業会社ホフマン・ラ・ロシュのリュック・ホフマンが加わることになった。最初の寄付者はロンドンの富裕な不動産開発業者ジャック・コットンで、1万ポンド出した。つぎがシェル石油だった。こういった大金持ちからの多額の寄付が、その後しばらくはWWFの主要な資金源となった。

  • テディ・ゴールドスミス
    ...ゴールドスミス家はヨーロッパ有数の銀行家一族だった。経済界での彼は、弟の金融業者で会社乗っ取り屋でもあるジェイムズ・ゴールドスミスの風変りな添えものでしかない。しかし、イギリスの緑派にとっては1990年に創刊20周年を迎えた急進的な緑派の雑誌「エコロジスト」の創始者兼発行人である。
    ...雑誌「エコロジスト」:1970年に創刊された。1972年は環境に対する関心が世界的に高まった年だった。アメリカ、イギリスその他多くの諸国の政府は環境保護機関(アメリカでは環境保護庁、イギリスでは環境省)を新設し、新しい法律を制定せざるを得なくなった。結局は何の効果もなかった法律ができ、官僚機構が整備された途端に、環境問題の議論の熱はしばらくのあいだ冷めてしまった。石油危機につづく世界経済の激しい落ち込みのために、環境への悪影響より経済の成長が止まることの方に世界の関心は向けられた。その後、10年以上の歳月がたち、豊かな西側諸国が80年代に経済成長をつづけた結果、ようやく環境問題が再び政治課題として全面に踊り出た。


★グリーンピースのたたかい
  • ...現代において野生生物の生存に国際的な関心を呼び起こした最初の団体はWWFであったが、環境保護運動を誰もが加われるものにしたのは、60年代(=平和と愛、抗議と兵役忌避の時代)にスタートしたグリーンピースと地球の友だった。ともにきまじめなアメリカのシエラ・クラブから飛び出した人々がはじめたのだが、すぐに若い世代がこの運動を担うようになった。
  • ...そこにはヒッピー、マルクス主義者、毛沢東主義者、トロツキスト、イッピー、急進的なヴァンクーヴァー解放戦線、兵役忌避者、脱走兵などさまざまな人々が集まっていた。

  • ...メディアを使ったたたかい:グリーンピースは、動く映像の力をはじめて認識した市民団体だった。小さなゴムボートを操って捕鯨船の銛の前に飛び出したり、有毒廃棄物を積んだ船のへさきの下に突っ込んだりすると、カメラがそれをとらえ、テレビ画面で世界中の人が見ることになる。1971年にグリーンピース財団に改組されたあとの初代議長が、マスコミを使う選挙運動を手がけてきたベン・メカトフであったのは、むしろ当然であろう。
    =グリーンピースは一種の聖像(イコン)であり、何百万人もの人々を環境に目覚めさせるシンボル。

  • ...グリーンピースのやることは話として面白いので、マスコミのデスクがグリーンピースのイメージにすっかり乗せられてしまい、運動に不利なことは抑えて出さないようにしていた。このため、多くの諸国で、ライヴァルである地球の友には「勇敢なシロウトの失敗者集団」というイメージがあるのに対し、グリーンピースの方は「向こう見ずの成功者」というイメージを20年にわたって保ってきた。
    →このイメージを損なわないためには、グリーンピースは明瞭で分かりやすいメッセージを伝えなければならない。第三世界の農業や森林の再生といった込み入った問題は避けがちであった。
    =グリーンピースは腰が重く、他の勢力がすでに問題をはっきりさせ、政治的な動きがはじまってから場面に登場することが多い。しかし、そうした動きを世界的に大きな運動にするという点にかけては、誰もかなわない。

★シー・シェパード
  • ポール・ワトソン:グリーンピースはいまなお、創設者がもっていた昔ながらのクエーカー教徒の倫理観を信じている。
    =人や物に決して暴力をふるわない。「過激すぎる男」ワトソンは、このルールを大きく曲げ、組織から追放された。情熱に駆られたワトソンは、シー・シェパードという組織を別につくった。そして、より大きな法に適うのなら、現実の法律に反してもかまわないという立場で、活動をするようになった。
    →多くの人々の頭の中では、ワトソンとグリーンピースは結びついていたので、グリーンピースがワトソンのために傷つけられた名声を取り戻すのは容易でなかった。


★地球の友
  • ...地球の友は中央集権的なグリーンピースとは異なり、各国支部に自主性がかなりあった。これは、「ロビー活動をする専門家の小集団」をつくることが狙いであったためである。創設メンバーは会員を増やすことは考えておらず、信頼性の高い調査をおこなうことの意義を強調した。

  • ...反核キャンペーンにおいても、地球の友は公聴会を重視し、グリーンピースの戦術とはまったく対照的だった。いつも事実を慎重に調べ、とりすました態度を見せた地球の友に比べ、グリーンピースははじめからひたすら大衆受けを狙ったものだった。地球の友に比べ、当時のグリーンピースは調査もぞんざいだった。

  • ...イギリスの環境保護団体の熱心な活動家の多くは、地球の友で経験を積み、そのかなりの者がグリーンピースにたどりつく。



読了日:2008年8月29日

2008/09/15

ソルジェニーツィン「煉獄のなかで」

煉獄のなかで 上巻
煉獄のなかで 上巻
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1972

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』(1968年)を読了しました。

◇◇◇

モスクワ近郊の「特別収容所」(シャラーシカ)を舞台に、1946年のクリスマスから数日間が描かれています。
シャラーシカは、囚人である科学者や技術者たちが、国家のために開発・研究を進める研究所です。ソルジェニーツィンによれば、「しゃばにいるどんな学者でもそこで働かせてもらうのを名誉と考えるにちがいないほど、水準の高いもの」でした。
「第一圏にて」という原題は、ダンテ『神曲』の地獄の第一圏の意味で、シャラーシカを比喩的に表したものです。シャラーシカから一般収容所に送られようとする囚人が、次のように表現しています。

あそこは地獄ではありません。あそこは地獄なんかではありません! われわれが送られようとしている所が地獄なのです。われわれがもどろうとしている所が地獄なのです。シャラーシカは地獄のなかでもっとも上にあるいい第一圏なのですよ、あそこは―ほとんど天国といってもいいくらいの所ですよ......
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』木村浩・松永縁彌訳、以下同)

『煉獄のなかで』は、『ガン病棟』(1968年)と同じく、非常にポリフォニックに書かれています。これが、ソルジェニーツィンの作風なのでしょうね。
囚人数学者のネルジン、ユダヤ人言語学者でありながら社会主義の熱心な擁護者であるルービン、農民出身である囚人雑役夫スピリドン、ネルジンの妻ナージャ、外交官ヴォロジン、シャラーシカで権力をふるうヤーコノフ技術大佐、ヤーコノフの上司でありスターリンその人とも接見するアバクーモフ大臣などなどたくさんの人物が登場します。
なかでもスターリンの描き方は、やはり印象深かったですね。

 その男の名は、世界中の新聞が述べたて、何千のアナウンサーが何百のことばでしゃべり、演説者が演説のはじめと終わりで叫び、ピオネールたちのかん高い声が歌いあげ、主教たちが祈祷の中で唱えていた。その男の名は、軍事捕虜たちの瀕死の唇に、囚人たちのはれ上がった歯茎にこびりついていた。その男の名をとって、都市、広場、通り、大通り、学校、病院、山脈、運河、工場、鉱山、国営農場、集団農場、軍艦、砕氷船、漁船、製靴協同組合、託児所などがぞくぞくと改名され、それでもまだ足りず、モスクワのジャーナリストの一グループはヴォルガや月まで改名することを提唱していた。
が、その男は、首の皮のたるんだ(これは肖像画にはかかれなかった)、トルコ・タバコの匂いが口にしみついた、本に跡を残す脂性の指をもった、小柄な老人にすぎなかった。

「すべての時代と民族のもっとも天才的な戦略家」でも「偉大なる指導者」でも「最良の友」でもない、弱々しく老いた、卑小な"人間"としてのスターリン像は、ソクーロフ監督の映画『太陽』における滑稽な小男としての昭和天皇を思い出しました。



読了日:2008年9月3日

2008/09/13

フロム「悪について」

悪について
悪について
  • 発売元: 紀伊國屋書店
  • 価格: ¥ 1,386
  • 発売日: 1965/07

エーリッヒ・フロム『悪について』(鈴木重吉訳、紀伊国屋書店、1965年)を読了しました。
Lamiumさんのおすすめです。ありがとうございました。
フロムの著作をはじめて読みました。
すごく分かりやすくて、名著だな~と思いました。

◇◇◇

悪に向かう人間の性向(=人間に内在する悪の可能性)を、フロムは次のように三つの現象から説明します。
  • a 「ネクロフィリア」(死を愛好すること)
  • b ナルチシズム
  • c 近親相姦的固着
この三つが結合すると、「衰退の症候群」(=人間を破壊のための破壊へかりたてるもの、そして憎悪のための憎悪へかりたてるもの)を形成するようになります。

「衰退の症候群」に対立するものとして、「生長の症候群」があります。
  • a' 「バイオフィリア」(生への愛)
  • b' 人間への愛
  • c' 独立性
以上の三つから成立しています。
この二つの症候群の生の方向 / 死の方向が、すなわち善の方向 / 悪の方向と言えます。

フロムは、「衰退の症候群」の極端な例として、フロムはヒトラーとスターリンをたびたび登場させます。
暴力、憎悪、人種差別、民族主義などに陥る人々は、この症候群に罹っているのであり、愛国心、義務、名誉といったもので自分を合理化しようとします。
図示されている通り、いわゆる悪の方向へ進むか善の方向へ進むかは、「ネクロフィリア」-「バイオフィリア」、ナルチシズム-人間への愛、近親相姦的固着-独立・自由の三つのバランスによるのです。
完全にバイオフィラスな人間は聖人と呼ばれるでしょうし、完全にネクロフィラスな人間は狂人とみなされるでしょう。

◇◇◇

フロムの説明は簡潔ですけれど、とても説得力がありますよね。
印象に残った箇所をいくつか引用しておきます。

殺しは最も原初的な水準で、非常な興奮となり大きな自己確認となる。逆に殺されることは、殺すことに対する論理的な二者択一にすぎない。これが原初的な意味での生の均衡なのである。すなわちできるだけ多く殺すことであり、そして一人の生がこうして血に飽くとき、その人は殺される用意ができたことになる。この意味において、殺すことは本質的には死を愛好することではない。最も深い退行の水準で、生を確認し超越することなのである。(pp.32f.)

私が述べようとしてきたことは、母親とのきずなは、母の愛に対する願望も、母の破壊性に対する恐れも、ともに、フロイトが性的欲求に基づくと考えた「エディプス的きずな」よりもはるかに強度で、かつ根源的なものであるということである。(pp.137f.)

無節操で硬化した人間としてその生涯を終始した殆どの人は、ヒットラーやスターリンの部下のような場合でさえも、善人となりうるチャンスをもってその生をスタートしたのだ。かれらの生涯を詳細に分析すれば、それぞれの各時点における心の硬化度はどの程度か、そしてまた人間らしくあり得た最後のチャンスがいつ失われたのかがわかるかもしれない。それとは全く逆の光景もまた見られるのであって、最後の勝利が次の勝利を容易にし、遂には正しいものを選択するための努力は不要になる。
以上あげた例は、大抵の人が生きる技術に失敗するのは、かれらが生まれつき悪であるとか、よりよい生活を営む意志を持たないからではなくて、かれらが覚醒することなく、いつ岐れ道にさしかかり決定すべきかを見通し得ないからであるといことを示している。(pp.187)

フロムがa、b、c、を説明する際に言及していたG.フロベール『聖ジュリアン伝』と、リチャード・ヒューズ『屋根裏部屋の狐』も、読んでみたいなぁと思いました。



読了日:2008年8月23日

2008/08/25

ソルジェニーツィン「ガン病棟」(2)

ガン病棟〈第2部〉 (1969年)
ガン病棟〈第2部〉 (1969年)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969

★ソルジェニーツィン「ガン病棟」(1)


ソルジェニーツィン『ガン病棟』に登場する、オレーク・フィリモノーヴィチに注目してみましょう。

わたしは、オレークが、流刑地である農村に郷愁を感じ、強い愛着を持つのと、『マトリョーナの家』のイグナーチッチが農村に心の安らぎを見出すのは、同じメンタリティだろうと思いました。
イグナーチッチも、10年あまりラーゲリに抑留されています。
オレークの手紙には次のように綴られています。

特に長生きをしたいわけではないのです! 将来の計画を立てたところで何になりましょう。絶えず警護兵に監視され、あるいは絶えず痛みを感じながら生きてきたのですから、今は僅かの間でも警護兵と痛みの両者を抜きにして生きたい―それが精いっぱいの望みなのです。何もレニングラードやリオ・デ・ジャネイロに行きたいというのではなく、ただあの鄙びた村へ、つつましいウシ・テレクへ帰りたいだけなのです。もうじき夏ですね。この夏は星空の下で眠り、夜中に目醒めたら、白鳥座やペガソス座の傾き具合で時刻を知りたい。この夏、脱走防止用のライトに消されていない、あの星空を眺めることさえできれば、もう再び目醒めなくても構いません。
(ソルジェニーツィン『ガン病棟』小笠原豊樹訳、以下同)

一方で、オレークは都市の生活に対しては「疲労」と「吐き気」を感じます。

なんだって? 大勢の人間が塹壕の中で死に、同胞墓地や、極地のツンドラに掘った小穴の中へ投げこまれ、中継監獄で寒さに震え、鶴嘴を担いで疲労困憊し、継ぎあてをあてた綿入れ一枚で寒さを凌いでいたというのに、この潔癖な男ときたら、自分のルバシカのサイズのみならず、カラーのサイズまで覚えているのか?!

このカラーのサイズがオレークを打ちのめしたのである! カラーにまでいろいろなサイズがあろうとは夢にも思わなかった! 傷ついた呻き声を発しながら、オレークはルバシカ売り場から離れて行った。カラーのサイズか! なんのためにそんな繊細な生活を送らなければならないのか。なぜそんな生活に復帰しなければならないのだ。カラーのサイズを覚えるということは、すなわち、ほかの何かを忘れるということではないか! もっと大切な何かを!

あまりに非人間的な生活を体験した後では、オレークは「頭脳を根本的に裏返されてしまった」ため、「もう何であろうと無邪気に客観的に受け入れることはできない」のです。

都市の人々の、経済成長の恩恵を受けた豊かで文化的な―ラーゲリやそこに抑留されている人間としての尊厳を奪われたたくさんの人々が、まるで存在していないないかのような―生活は、オレークにとってうわべだけの"大切な何かを忘れた"生活に思えるのでしょう。


ここから、ソルジェニーツィンの分身と言えるオレークやイグナーチッチが、農村に心を寄せる理由がわかります。
そして、ソルジェニーツィンがマトリョーナ・ワシーリエブナやザハール・ドミトリッチのように、素朴で誠実な"人間らしい"人々を、愛情と尊敬を込めて描いた理由も、ここにあると思います。

◇◇◇

雑役婦のエリザヴェータ・アナトーリエヴナも、ラーゲリを終えた女性でした。
暇な夜勤のときなどフランス語の小説を読むほどの教養ある彼女が、看護婦は触れることのない不潔なもの、不都合なものの出し入れを一手に引き受け、まめまめしく働いています。

オレークやイグナーチッチが「古き良きロシア」に心の安らぎを覚えるように、彼女は古いフランスの小説を読みます。

「悲劇的な小説といっても、私たちの経験と比べれば、なんだか滑稽な話ばかりですね」と、エリザヴェータは言います。
彼女は、ほんとうは古いフランスの小説ではなく、現代のロシアの小説を読みたいのでしょう。
しかし「安全な道」を選んだ著者たちは、彼女にとって「現在生きている人たち、現在苦しんでいる人たちには、なんの関心もないように思えるのです。
表現はオレークと異なりますが、エリザヴェータも同じ違和感を共有しているのだと思います。

「いつになったら、私たちのことが小説に書かれるのでしょう。百年経たないと駄目なのですか」

彼女の心の叫びとも言える訴えが、強くわたしの胸に残りました。



読了日:第1部 2008年8月18日 / 第2部 2008年8月19日

2008/08/24

ソルジェニーツィン「ガン病棟」(1)

ガン病棟〈第1部〉 (1969年)
ガン病棟〈第1部〉 (1969年)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの長編『ガン病棟』(1968年)を読了しました。

『ガン病棟』は、人間が自分の病気と死に向き合うことを描いた作品です。
このテーマを扱った作品と言えば、トルストイ『イワン・イリイチの死』や、映画「生きる」(黒澤明監督)が思い浮かびます。

◇◇◇

『ガン病棟』は、ウズベク共和国の首都タシケント市の総合病院のガン病棟が舞台の、いわゆる<主人公不在の小説>です。第1部は1955年2月初旬の1週間、第2部はそれから1ヶ月後の3月初めを描いています。

第13病棟すなわちガン病棟には、ラーゲリ生活を終え、永久追放の身であるオレーク、党官僚として権力のあるパーヴェル・ニコラーエヴィチ、若く才能を認められた地質学者ヴァジム・ザツィルコ、旋盤工として働きながら勉強をするまだ16歳のジョームカなど、さまざまな階層を代表する患者たちが収容されており、誰もが等しく同じ死の淵に立たされています。
彼らの治療に当たる女医、看護婦、雑役婦など数多い登場人物たちも、死と向き合う普遍的な人間像であり、それぞれが人には言えない暗い影を背負っています。

普遍的な人間存在を描いていると同時に、『ガン病棟』は1955年のソビエト社会の縮図であり、そこに描かれた人々は、1955年のソビエト社会に"生きた具体的な人間"なのです。
本作の特徴と言えるポリフォニーの手法は、きわめて効果的に"生きた"人間を浮かび上がらせていますね。

◇◇◇

『ガン病棟』は、1968年ソビエト作家同盟機関紙「文学新聞」によって「思想的に見て本質的に改作を要する作品」と決めつけられ、ソルジェニーツィンは激しく批判されました。

「ノーヴィ・ミール」誌にすでに発表されていた『イワン・デニーソヴィチの一日』、『クレチェトフカ駅の出来事』、『マトリョーナの家』、『公共のためには』、『胴巻のザハール』の単行本は出版を拒否され、彼の作品の公開朗読会やラジオでの朗読放送も禁止されていました。『ガン病棟』も、数章ずつの掲載は5つの雑誌に拒否され、全編の掲載は3つの雑誌に拒否されたと言われています。ついに西欧での『ガン病棟』の出版という事態を迎え、国内でのソルジェニーツィンをめぐる状況はいっそう厳しくなりました。

そして1969年10月、彼は突如としてソ連作家同盟リャザン支部から除名されました。それまでに、彼はどんな小さな文章をも国内では発表できない状況にありましたが、ソ連作家同盟の会員であることは、ソビエト社会における彼の身分を保証するものだったのです。

皮肉にも翌1970年秋、ノーベル文学賞が決定しました。スェーデンの文芸評論家たちはこの受賞について、「ソルジェニーツィンの文学が生き残るためにはノーベル賞は不要であろうが、ノーベル文学賞の権威のためにはソルジェニーツィンの文学が必要である」と論評したといいます。
この讃辞が暗示した通り、どれだけ当局に禁じられようとも、ソルジェニーツィンの文学は現在まで生き残っています。


★ソルジェニーツィン「ガン病棟」(2)

2008/08/23

ソルジェニーツィン「胴巻のザハール」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「胴巻のザハール」(1966年)を読了しました。

◇◇◇

「胴巻のザハール」は、語り手が自転車旅行をしたクリコーボの古戦場と、その番人である「赤毛の精霊」ザハール・ドミトリッチの思い出を描いた短編です。

 この身にしみる寒さだというのに、ザハールは干草の山で寝たのだ! なんのために? どんな不安に、あるいはどんな愛着に、この男はつきうごかされたのか。
 わたしたちが前の日に感じていた、この男をあざけり、見下す気持ちは、みるみる消え失せた。この寒い朝、干草の山から立ちあがったザハールは、すでにして単なる番人ではなく、この古戦場の精霊であり、この野原から決して立ち去らぬ警護の牧神だったのである。
(ソルジェニーツィン「胴巻のザハール」小笠原豊樹訳)

ザハールの胴巻の中には感想帳と、許された唯一の武器である斧がしっくり収まっています。



ザハールの人物像は、『マトリョーナの家』のマトリョーナ・ワシーリエブナと同じ系譜だと思いました。マトリョーナは「敬虔の人」であり、ザハールは「警護の牧神」です。

マトリョーナは、親類や村人から「お人よしで馬鹿で、他人に無料奉仕ばかり」しているとされ、軽蔑のまじった憐みの眼差しを向けられています。
いたずらをやりそうな見学者に一々喰ってかかり、土地の荒廃について毎回熱烈に腹を立てるザハールも、野卑で滑稽な人物としてみなされ、権限は全くなく、給与は最低賃銀以下の27ルーブリです。

しかしながら、大地とそこに住まう無数のマトリョーナやザハールがいたからこそ、わたしたちの村や町が成り立ってきたのであり、誰にも評価されないところで、彼らの「素朴さや誠意」がわたしたちの生活を支えているのです。
これが、『マトリョーナの家』そして『胴巻のザハール』に織りこまれた、ソルジェニーツィンのメッセージだと思いました。 読了日:2008年8月13日

2008/08/22

ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「マトリョーナの家」(1963年)を読了しました。

◇◇◇

まず書き出しが、すばらしいです。

 もう、かれこれ半年はつづいているだろうか、モスクワから百八十四キロ離れた地点にさしかかると、どの列車も申し合わせたように速力をゆるめ、ちょうど手探りで歩くほどのスピードになる。乗客は窓ガラスに顔を押しつけたり、デッキに出てみたりする。線路の修理でもしているのだろうか。運行表からズレたのか。
 いいや。踏切を一つ通りすぎると、列車はふたたび速力を盛りかえし、乗客はほっとして座席に戻る。
 なぜこうなのか、そのわけを知り、かつ忘れないのは、機関手だけである。
 それから、わたしも。
(ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」小笠原豊樹訳、以下同)

ロシア文学史において、「マトリョーナの家」は農村派文学の古典と言われています。
スターリン死後のソビエト文学の中には、農村に保持されている古き良き価値に共感を寄せる一連の作品が現れるようになり、とくに1960年代後半以降この傾向は顕著なものとなって、「農村派」という呼び方が一般化しました。
農村を扱った文学の歴史は古く、カラムジーン、グリゴローヴィチ、トゥルゲーネフ、トルストイ、ブーニンなどによる古典的作品が多くあります。現代の農村派の特徴は、農村に寄せる作家の共感がある種の喪失感や郷愁の念とないまぜられている点です。

「マトリョーナの家」は、語り手であるイグナーチッチが、「古き良きロシア」タリノボ村にある、マトリョーナ・ワシーリエブナの家での下宿生活を回想する物語です。
誰もが農村を出て都会へ就職したがる時代に、イグナーチッチは「鉄道から離れた所」に就職し、そこで永住したいと考えています。「古き良きロシア」の農村は、彼の心に安らぎを与えるのです。
ここからも、ソルジェニーツィンが思想的には農村派に極めて近い所に位置していたことが分かります。

◇◇◇

ソルジェニーツィンのヒューマニズムの精神は、マトリョーナという人物像にぎゅっとつまっていると思います。

 きれいな服を欲しがらなかった。畸型や悪徳を美しく飾るためのきれいな服を。
 自分の夫にすら理解されず、棄てられたひと。六人の子供をつぎつぎと失ったが、善良そのもののような性格は決して失わなかったひと。妹や義理の姉たちとは、あまりにもかけはなれた生涯をすごしたひと。他人のために無料奉仕する、間の抜けた、愚かなひと。このひとは、死んだとき、何の貯えもなかった。薄汚れた山羊と、びっこの猫と、イチジクと......。
 わたしたちは、このひとのすぐそばで暮らしていながら、だれひとりとして、このひとが敬虔の人であることを知らなかった。諺に言う。敬虔の人がいなければ、村は成り立たない。
 町も。
 わたしたちの地球ぜんたいも。

彼女の素朴で、おだやかな、やさしい人柄は、「古き良きロシア」を象徴しているのでしょう。 読了日:2008年8月13日

2008/08/19

ソルジェニーツィン「クレチェトフカ駅の出来事」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「クレチェトフカ駅の出来事」を読了しました。

◇◇◇

大祖国戦争初期、ソビエト時代に育った正しく"成熟した純潔なソビエト青年"であるゾトフ中尉が、密告者に変貌する一瞬を切り取った短編です。

「いや、もう御心配なく、ゾトフさん」いろんな種類のボタンがついている汚れた上着の胸に、トベリチノフは片手の指を扇のようにひろげて押しあてた。「これだけで、もう充分に感謝しております」男の目つきも声つきも、もはや悲しそうではなかった。「おかげさまで体も心もあたたまりました。あなたは、いい方ですね。こういう苦しい時代には、たいへん貴重な体験です。で、教えていただきたいのですが、わたしはこれからどこを経由して、どう行ったらよろしいのですか」
「まずですね」と、ゾトフは満足そうに説明を始めた。「グリャージ駅まで行ってください。ああ、地図がないと説明に不便だな。わかりますか、グリャージがどの辺にあるか」
「いや、どうも、あまり........名前は聞いたことがあるようだけれども」
「そりゃ、あるでしょう、有名な駅だから! もしグリャージ到着が明るいうちでしたらこの証明書を持って―この駅を通られたことを、ここに添え書きしておきます―グリャージの司令部へ行ってください。司令官が配給所に紹介しますから、二日分の食糧が受け取れます」
「どうもいろいろお世話様です」
「もし到着が夜だったら、列車からおりずに、じっと乗っていてください! それこそ毛布がひとりでに運んでくれますよ! ......グリャージから、この列車はポボーリノへ行きます。ポボーリノにも配給所があるけれども、乗りおくれないように気をつけてくださいね! 列車はさらにアルチェーダまで行きます。アルチェーダで、あなたが乗り継ぐ列車は二四五四一三列車となっています」
ゾトフは遅延証明書をトベリチノフに手渡した。それを、上着の、ボタンのついているほうのポケットに収めてから、トベリチノフは訊ねた。
「アルチェーダ? それは聞いたことがありません。どの辺ですか」
「スターリングラードのちょっと手前ですよ」
「スターリングラードの手前」と、トベリチノフはうなずいた。だが、額に皺を寄せた。かすかに努力の色を見せて、訊き返した。「失礼ですが.......スターリングラードというと.......昔は何と呼ばれていましたか」
この瞬間、ゾトフの内部で何かが破裂し、ひんやりするものが胸をかすめた。こんなことがあり得るだろうか。ソビエトの人間が、スターリングラードを知らないのか。いや、こんなことは絶対にあり得ない! 絶対に! 絶対に! とうてい考えられない!
だが、ゾトフは辛うじて感情を隠した。なんとなく服装を直した。眼鏡にさわった。それから冷静な声で言った。
「昔はツァリツィンです」
(してみると、包囲脱出兵じゃないんだ。潜入したんだ! スパイだ! 白系のエミグラントかもしれない。だから、こんなに礼儀正しいんだ。)
ソルジェニーツィン「クレチェトフカ駅の出来事」(小笠原豊樹訳)

そしてゾトフは、「感じのいい喋り方」で「教養のある賢い男」と見なしていたトベリチノフを騙して勾留し、本部へ護送しました。しかし彼は、トベリチノフのことを一生涯、どうしても忘れることができませんでした。

◇◇◇

興味深いなぁと思ったのは、"非情な密告者"となったゾトフのメンタリティです。
彼の密告は、「良心の命じるままに」行われたものでした。
トベリチノフがほんとうに「変装した破壊活動分子」であったかどうかはゾトフには分かりません。しかし、最後に「こんなことは、あとで取り消すわけにはいかないのですよ!」と、トベリチノフが叫んだように、ゾトフの密告がトベリチノフの一生を無残に変えてしまったということは、ゾトフも気づいていたと思います。それゆえ、彼は「縞模様のワンピース姿の少女の写真」を大切に持っていたトベリチノフのことを、一生涯忘れることができなかったのでしょう。
"ソビエト青年"としてではなく、"人間"としての彼の良心が、一生涯消えない罪の意識を彼の心に刻みつけたのだと思います。 読了日:2008年8月13日

2008/08/17

サリンジャー「シーモア-序章-」

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)
大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 580
  • 発売日: 1980/08

サリンジャーの「シーモア-序章」(1963年)を読んで、"グラース・サーガ"の全体像が見えてきました。
これまで、断片化されていた作品が、わたしの中で有機的なつながりを取り戻しつつあります。
『ナイン・ストーリーズ』から、『フラニーとゾーイー』、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章-』までを少し整理してみます。

◇◇◇

<グラース家>
両親:レス(父)、ベシー(母)
子供:シーモア、バディ、ブーブー、ウォルト、ウェーカー、ゾーイー、フラニー



★1942年:シーモアとミュリエルの結婚(「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」)

 シーモア(25歳)...空軍の伍長
 バディ(23歳)...陸軍に召集されたばかり
 ブーブー(21歳)...婦人予備部隊の海軍少尉
 ウォルト(19歳)...野砲部隊
 ウェーカー(19歳)...良心的参戦拒否者の強制労働場
 ゾーイー(13歳)、フラニー(8歳)...『これは神童』に出演中

→「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、1955年にバディによって執筆された作品。


★1945年:ウォルトの事故死(「コネティカットのひょこひょこおじさん」)
 
 ウォルト(22歳)...日本で軍務中に爆発事故。
→「コネティカット~」は、大学時代の恋人エロイーズによって、生前のウォルトのエピソードが語られる場面がある。時代的にはウォルトの死後、数年か。


★1948年:シーモアの自殺(「バナナフィッシュにうってつけの日」)

 シーモア(31歳)...休暇を取ってミュリエルとフロリダに旅行滞在中自殺

→「バナナフィッシュ~」はバディが1940年代の末に執筆した作品。執筆時期はシーモア自殺から2か月しかたっておらず、バディはヨーロッパの戦場から帰還したばかりだった。


★「テディ」
→バディが執筆した作品。大西洋航路の船に乗っている天才的少年を描いている。
 天才少年テディのモデルはシーモアでは?


★「小舟のほとりで」
母親ブーブーと息子ライオネルの生活が描かれる。

 ブーブー(25歳)...4歳の息子をもつ主婦。夫もユダヤ人。


★1955年:「フラニー」「ゾーイー」

 バディ(36歳)...大学講師をしながら作家業
 ブーブー(34歳)...3児の母
 ウェーカー(32歳)...ローマ・カトリックの司祭
 ゾーイー(25歳)...新進俳優
 フラニー(21歳)...大学生 

→シーモアの没後約7年、ウォルトの没後約10年

「ゾーイー」の中のバディの手紙から分かること
→バディはシーモアの遺体をフロリダまで引き取りに行き、5時間びっしり飛行機の中で泣いていた。
→シーモアの自殺を怒っているのはゾーイーだけであり、そしてそれを本当に許しているのもゾーイーだけである。ゾーイー以外はみな、外面では怒らず、内面では許していない。


★1963年:「シーモア-序章-」


 バディ(40歳)...大学講師をしながら作家業
 ブーブー(38歳)...ウェストチェスターに住む財力のある中年の主婦
 ウェーカー(36歳)...カルトゥジオ会の元海外伝道牧師兼通信員だったが現在蟄居中
 ゾーイー(29歳)...俳優
 フラニー(25歳)...新進女優


◇◇◇

興味深いのは、「バナナフィッシュ~」、「テディ」、「大工よ~」がバディが執筆し、出版された作品として「シーモア-序章-」に登場することです。
つまり、それらは物語内物語ということになります。
技巧的ですね。



読了日:2008年8月9日

2008/08/16

サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)
大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 580
  • 発売日: 1980/08

サリンジャーの『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章-』(野崎孝/井上謙治訳、新潮社)を読了しました。
『フラニーとゾーイー』につづく、グラース家の物語です。
ここまで読んでくると、『ナイン・ストーリーズ』に収められているいくつかの短編も、いわゆる"グラース・サーガ"の重要な一部分であることが分かってきました。
「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」と「シーモア-序章-」は、グラース家の次兄バディの語りによって書かれています。

◇◇◇

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、長兄シーモアの結婚式当日の数時間を描きながら、ブーブーに言わせれば「最低」だけれど「すごい美人」のミュリエルと、シーモアがなぜ結婚することになったかの真相を浮かび上がらせています。

ミュリエルにとって結婚は、「まっ黒に日焼けして、どこかいきなホテルのフロントへ行って、主人がもう郵便物を持って行ったかと尋ねてみたい」、「カーテンの買い物がしたい」、「マタニティ・ドレスを買ってみたい」、「母親のクリスマス・ツリーではなくて、自分のクリスマス・ツリーの飾りつけを毎年箱から取り出してみたい」といった欲求を満たすためであり、そのことをシーモアはよく理解しています。
彼女の結婚の動機を、彼女そのものを、バディやブーブーやフラニーのようなグラース家の子供たちは軽蔑するでしょう。
ミュリエルの母親に対しても、同じでしょう。
ブーブーは、「お母さんという人は絶望ね―あらゆる芸術にちょっぴりずつ通じていて、週に二度ずつユングの流れを汲む立派な精神分析の先生に会っています」と、バディに書き送っています。

一方で、グラース家の子供たちではなく、ミュリエルを取り巻く人々から見れば、ミュリエルや彼女の両親は「そりゃすてきな人たち」であり、「本当にいい人たち」なのです。
シーモアは、ミュリエルの母親に言わせれば「同性愛の気があって、精神分裂症の傾向を持っている」のであり、彼女の親戚からは「いつまでも大人になれないでいる」、「イカレタ気違い」に見えるのです。
このコントラストは、非常に象徴的ですね。

しかしながら、シーモアは、バディやブーブーがミュリエルやミュリエルの母親を軽蔑するようには、彼女たちを軽蔑しません。
シーモアは日記のなかで、ミュリエルの結婚の動機について次のように書きます。

彼は彼女を軽蔑するだろう。が、しかし、それははたして軽蔑さるべき動機だろうか? ある意味ではたしかに軽蔑されても仕方あるまい。だが、ぼくには実に人間並みで美しく思われて、これを書いている今ですら、それを思うと深い深い感動を禁じ得ない。
(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝訳、以下同)

ミュリエルの母親に対しても、シーモアは次のように書いています。

独善的で、いらいらさせられる女で、バディの我慢ならないタイプだ。おそらく彼女のありのままの姿を見ることは彼にできないだろう。事物を貫いて流れている、万物を貫いて流れている太い詩の本流、これに対する理解力をも愛好心をも、生涯ついに恵まれることのなかった人間。むしろ死んだ方がましかもしれないが、それでも彼女は生き続けてゆく。デリカテッセンに立ち寄ったり、かかりつけの分析医に会ったり、毎晩一編ずつ小説を読破したり、ガードルを着けたり、ミュリエルの健康と繁栄のために画策したりしながら。ぼくは彼女を愛している。想像を絶するほど勇敢な人だ

わたしはシーモアがミュリエルとの結婚を決めた理由は、ここにあると思います。彼の哲学は、『フラニーとゾーイー』における「太っちょのオバサマ」の比喩と同じテーゼです。
「フラニー」(1955年)→「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」(1955年)→「ゾーイー」(1957年)という執筆順からも分かるように、サリンジャーの"答え"は、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」の時点ですでに固まっていたのでしょう。
サリンジャーの哲学において、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」のシーモアが到達点であり、『フラニーとゾーイー』はフラニーが、ミュリエルやミュリエルの母親を軽蔑するような人間観を、乗り越える過程を描いているのだろうと思いました。

◇◇◇

結婚後の二人がどうなったかは、「バナナフィッシュにうってつけの日」(『ナイン・ストーリーズ』に収録されています)に描かれています。
シーモアがなぜ自殺したかは、謎のままです。



読了日:2008年8月9日

2008/08/09

サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
  • 発売元: 白水社
  • 価格: ¥ 924
  • 発売日: 1984/05


サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳、白水社)を再読しました。
今回、再読してはじめて、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンは、『フラニーとゾーイー』のフラニーへとつながっているのだと気づきました。

ホールデンは、彼が「インチキだ」と告発するあらゆるものから結局は逃れることができず、その抵抗は挫折します。
『ライ麦畑でつかまえて』が、ホールデンが精神病院で医師に語った話という形式になっているのも、それをいっそう際立たせています。
皮肉ですね。

ホールデンが「どっか遠くへ」行って、「唖でつんぼの人間のふり」をして一生をすごそうと願うのと同じように、フラニーは『イエスの祈り』を唱えます。

ホールデンが、「遠くへ行く」ことを思いとどまらせる役割をしているのは、フィービーという子供ですが、フラニーにとってそれはゾーイーという大人が行っています。この変化は、何かすごく意味があるように思えます。

  • フィービー=子供→生れながらの純粋さが保たれていて、大人の社会との間で葛藤がない存在。
  • ゾーイー=大人→ホールデンやフラニーが経験した葛藤を乗り越え、純粋さを失わずに社会に順応している存在。

フィービーがホールデンと共に遠くへ行こうとするのに対照的に、ゾーイーはフラニーを「インチキ」な現実に引き戻そうと必死になります。
ゾーイーに言わせれば、フラニーの『祈り』の目的は「お人形と聖者とがいっぱいいて、タッパー教授が一人もいない世界」を求めるもので、「きみを両腕に掻き抱いて、きみの義務をすべて解除し、きみの薄汚い憂鬱病とタッパー教授を追い出して二度と戻ってこなくしてくれるような、べとついた、ほれぼれするような、神々しい人物と密会する、居心地のよい、いかにも清浄めかした場所」を設定することです。
それは、「祈りの使い方を誤ってる」ことだと彼は言います。


ゾーイーは、フラニーがその葛藤を乗り越え、"痛々しいまでの純粋さ"を保ったまま、社会に再び戻っていくことを促す役割です。
フラニーは、ゾーイーが話す『太っちょのオバサマ』の喩えによって、彼女が軽蔑していたあらゆるものを、受け入れることができるようになります。
ゾーイーは言います。
「『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もおらんのだ。その中にはタッパー教授も入るんだよ、きみ。それから何十何百っていう彼の兄弟分もそっくり。」
そして、この『太っちょのオバサマ』こそが、「キリストその人にほかならない」のです。


これは、サリンジャーが辿り着いたひとつの"答え"だろうと思います。



読了日:2008年8月4日

2008/08/07

ソルジェニーツィン ; 略歴メモ


略歴メモ
年代 出来事
1918年コーカサスのキスロヴォツスク市に生まれる。
ソルジェニーツィン家は革命前まで南ロシア有数の裕福な家庭で、当時ロシアに9台しかなかったロールスロイスを所有していた。
1936年18歳。ドン河畔ロストフ市の中学を卒業、ロストフ大学理学部数学科へ入学。
1941年23歳。ロストフ大学理学部数学科を卒業。6月、独ソ開戦となり、輜重部隊へ編入される。
1942年24歳。偵察砲兵中隊長に任ぜられる。以後、レニングラード、オリョール・クールスク湾曲部の有名な戦闘に参加。白ロシア、ポーランドを経てベルリン進攻作戦に参加。この間、戦功により、「祖国戦争」ニ等勲章および赤い星勲章を授与される。
1945年27歳。2月、砲兵大尉として東プロシャのケーニヒスベルグ近郊において逮捕される。理由は友人宛の書簡において匿名ながらスターリンを批判したため。
ただちに、モスクワのルビャンカ刑務所へ送られ、6月、欠席裁判により8年の刑を宣告され、矯正労働収容所で働く。
数学と物理の専門家として『煉獄のなかで』の舞台となっている「特別収容所」へ移される。
1950年32歳。北カザフスタンのエキパトゥーゼ市の政治犯収容所へ移され、そこにおいて石工および鋳工として働く。『イワン・デニーソヴィチの一日』に舞台となったところである。ここにおいてガンを患い、手術を受けたが根治にいたらなかった。
1953年35歳。2月、8年の刑期を1か月余分に勤めあげて釈放され、行政命令によりコシテレク(カザフスタン南部)へ「永久追放」に処せられた。ガンがふたたび悪化し、生死の間をさまよった末、タシケントの病院へ送られた。そこが『ガン病棟』、『右手』の舞台となった。
3月、スターリン死去。
1954年36歳。密かに執筆活動をはじめる。
1956年38歳。2月、第20回ソ連共産党大会においてスターリン批判が行われる。ようやく追放を解かれ、ロシア・ヨーロッパ地区へ戻る。ウラジーミル州にて『マトリョーナの家』で描かれているエピソードを体験する。
1957年39歳。正式に名誉回復される。リャザン市に移り、同市の中学校で数学・物理を教えながら創作活動に没頭する。
1962年44歳。「ノーヴィ・ミール」誌11号に『イワン・デニーソヴィチの一日』が発表され、世界的な話題となった。シーモノフはじめ文壇の大御所たちから讃辞を浴び、ただちにソ連作家同盟の会員に推された。戯曲『鹿とラーゲリの女』をモスクワの「現代人」劇場で上演する契約ができた。しかし、最終的な上演許可がおりず、上演されなかった。
1963年45歳。「ノーヴィ・ミール」誌1号に『クレチェトフカ駅の出来事』、『マトリョーナの家』の2編を同時に発表する。同誌7号に『公共のためには』を発表。『イワン・デニーソヴィチの一日』はレーニン賞候補として最終予選まで残る。
1965年47歳。イギリスの「エンカウンター」誌3号に『十五の断章』が発表される。『煉獄のなかで』の草稿が国家保安委員会によって没収されるという事件が起こる。
1968年48歳。「ノーヴィ・ミール」誌1号に『胴巻のザハール』を発表。『ガン病棟』の一部が完成、作家同盟モスクワ支部の推薦を受けたが、各文芸誌からその掲載を断られる。
1967年49歳。いわゆる「ソルジェニーツィン事件」がはじまる。
1968年50歳。『ガン病棟』は西欧で出版される。
1969年51歳。『煉獄のなかで』も西欧で出版される。短編『右手』、『復活祭の行列』も西欧で出版される。11月12日、ソ連作家同盟リャザン支部より除名される。
1970年52歳。10月、ノーベル文学賞がソルジェニーツィンに決定する。
1971年53歳。『一九一四年八月』をパリのYMCA社から出版。ソ連では完全に黙殺された。春、息子エルモライ生まれる。





2008/08/06

ソルジェニーツィンの死を悼む


8月3日夜(日本時間で4日朝)、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなりました。
1918年生まれ、89歳でした。
ソルジェニーツィンという作家は、非常にシンボリックな存在でしたから、彼の死はほんとうに、ひとつの時代が終わったのだということを実感させます。

◇◇◇

亀山郁夫氏が、ソルジェニーツィンを追悼して寄稿していました。

敬虔なロシア正教徒であり、キリスト教的ヒューマニズムの視点から社会の「悪」を告発する作家精神は、同世代の誰よりも19世紀的であり、その意味ではレフ・トルストイやドストエフスキーの正統な後継者だったと言える。
社会主義の非人間性を糾弾し、検閲の廃止を訴えたソルジェニーツィンは、体制への批判と賛美を「二枚舌」で使い分けた多くの知識人と違い、ドン・キホーテのような直情さで権力に闘いを挑んだ。その最高傑作はソ連最大のタブーを克明に記録した『収容所群島』(73~76年刊)だ。
(亀山郁夫「ソルジェニーツィン氏を悼む」読売新聞2008年8月5日朝刊)

亀山氏が言うように、思想的には彼は、ロシア農村の古い宗教的美徳を称える保守派です。文学的にも、多くが19世紀の伝統的なリアリズムを負っており、モダニズムの精神からは遠い所に位置していました。
『収容所群島』や『赤い車輪』も、文学作品として成功しているかどうかについては意見が分かれるようです。


    主要作品 : 『イワン・デニーソヴィチの一日』、『マトリョーナの家』、『ガン病棟』、『煉獄のなかで』、『収容所群島』、『赤い車輪』、『仔牛が樫の木に角突いた』

2008/08/04

サリンジャー「フラニーとゾーイー」

フラニーとゾーイー (新潮文庫)
フラニーとゾーイー (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 500
  • 発売日: 1976/04

サリンジャーの『フラニーとゾーイー』(野崎孝訳、新潮社)を読了しました。
『ナイン・ストーリーズ』で、高校時代に『ライ麦畑でつかまえて』を読んで以来わたしの中にあった、サリンジャーに対する苦手意識がなんとなく払しょくされた気がしたので、つづけて『フラニーとゾーイー』に挑戦してみたのですけれど...。
びっくりしました。
そしてたぶん、わたしはサリンジャーが好きになりました。

◇◇◇

作中で、フラニーが傾倒している『巡礼の道』に描かれているロシアの巡礼さんは、おそらく「ユロージヴイ」(聖痴愚)か、「カリーキ・ペレホージェ」(遍歴の巡礼靴)のことだと思います。
それよりも、サリンジャーを読んでいて、ロシアの巡礼の話に出会うなんて、夢にも思いませんでしたよ。

『戦争と平和』では、公爵令嬢マリヤは、アンドレイ公爵が「神がかりども」と冷笑する巡礼たちを、やさしく屋敷に迎え入れ、心から愛する様子が描かれています。
彼女が特に愛するのは、フェドーシュシカという50歳以上の巡礼の老婆で、30年以上も苦行の鉄鎖をつけて裸足で巡礼をしています。
公爵令嬢マリヤは、シャツ、草鞋、百姓外套、黒いプラトークなどの巡礼の身支度をすっかりそろえ、貴族の身分を捨てて自分も巡礼に出ようと悩みます。
彼女は、「家族も、故郷も、現世の幸福を思ういっさいの悩みを捨てて、何ものにも思いをのこさず、粗衣をまとい、名も捨てて巡礼を重ね、他人に害を加えず、他人のために祈る」、「自分を追いはらう人々のためにも、自分をかばってくれる人々のためにも、ひとしく、ひたすら祈る」巡礼の生活に入りたいと願います。

『カラマーゾフの兄弟』には、「カリーキ・ペレホージェ」たちが歌う有名な巡礼歌がモチーフとして使われています。
16、7世紀頃からロシアには、「カリーキ・ペレホージェ」と呼ばれる巡礼たちが、巡礼歌を歌って門づけをしてまわる風習があり、彼らの大半は盲目あるいは身体になんらかの障害をもっていました。
そのため、本来は「カリーキ」(巡礼靴)と呼ばれていた彼らの名称が、いつのまにか「カレーキ」(不具者)と呼ばれるようになったそうです。
『フラニーとゾーイ』に出てくる巡礼も、片腕が麻痺しているという描写がありますね。
『カラマーゾフの兄弟』には、ルカ福音書のたとえ話をもとにした「ラザロの歌」と、ローマの聖者伝にもとづく「神の人アレクセイ」の歌が、明らかにモチーフとして使われています。

◇◇◇

ゾーイーに宛てたバディの手紙に、「スズキ博士がどっかで言ってるよ」とありますが、これは有名な鈴木大拙禅師のことでしょうね。

サリンジャーは、フラニーの書棚に「『ドラキュラ』が『パーリ語初歩』の隣に並んでいる」と、さりげなく叙述していますが、これだけでもフラニーという人物がどれだけ仏教に造詣が深いかということが分かりますね。
原始仏教の仏典はパーリ語で書かれていますから。

『ゾーイー』が書かれたのは1957年ですから、まだニューエイジのような東洋思想ブームが訪れていない時期に、サリンジャーは、どんなモティベーションでそれらを学んだのでしょうね?
不思議です。



読了日:2008年7月31日

2008/08/02

「ハーヴェイ・ミルク」(ロバート・エプスタイン監督)

ハーヴェイ・ミルク [コレクターズ・エディション] [DVD]
ハーヴェイ・ミルク [コレクターズ・エディション] [DVD]
  • 発売元: マクザム
  • 価格: ¥ 3,877
  • 発売日: 2009/06/26


ロバート・エプスタイン監督「ハーヴェイ・ミルク」(アメリカ、1984年)を見ました。
原題は、The Times of Harvey Milk(「ハーヴェイ・ミルクの時代」)です。
アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞しています。

アメリカで初めて、自らゲイであることを公表し、市政執行委員に当選したハーヴェイ・ミルク。
今年2008年は、彼が凶弾に倒れてから、ちょうど30年になります。
政治家としての彼の活動と、暗殺事件、そしてその裁判を通してアメリカ社会の本質を描いています。本当にすばらしいドキュメンタリー映画でした。

◇◇◇

サンフランシスコ市は、住民のおよそ4分の1がセクシュアル・マイノリティであると言われています。
1930年にアメリカのニューヨーク州で生まれたミルクは、海軍に在籍した後、ウォール街の証券アナリストなどの職に就き、60年代後半には演劇の仕事に携わるなどしていました。
70年代初頭に恋人のスコットとともにサンフランシスコに移り住み、ゲイタウンとして名高いカストロ地区でカメラ店を始めました。

このカストロ地区は、ゲイたちが居住し始める前には、アイルランド系労働者の居住地区でした。
60年代から70年代にかけてのアメリカの郊外化の動きに伴って、アイルランド系労働者たちが郊外に移り住んだのち、荒廃した地区にゲイの芸術家たちが家を借りたり、購入したりして、取り壊されようとしていたヴィクトリア朝風の建築物を改築し、メンテナンスを施したのが、ゲイの街カストロ地区の始まりです。

このようなカストロ地区を中心としたコミュニティ形成期を背景として、1973年にミルクはゲイの候補者として市政執行委員の選挙に立候補しました。
73年、75年と二度の落選を乗り越え、ミルクは77年の選挙で市政執行委員に当選しました。

映画のなかで、ミルクの生前にさまざまな場面でかかわりのあった人々が、彼を偲んで記憶や思い出を語ります。
そのエピソードから、ミルクのカリスマ性や、達成されたことの大きさ、ゲイのみならず他のマイノリティに対しても配慮を怠らなかったヒューマニストとしてのイメージが伝わってきます。
ミルクの政治家としての最大の業績は、「提案6号」というレズビアンやゲイの教師を学校から合法的に追放することを目的とした、反同性愛的な法案を廃案に追い込んだことです。

サンフランシスコでもっとも大きなイベントのひとつに、プライド・パレードがあります。
レズビアンやゲイをはじめとするセクシュアル・マイノリティのパレードで、映画のなかでも、ミルクがオープンカーに乗ってパレードを進んでいる姿を目にすることができます。
ミルクのようなコミュニティの功労者は、プライド・パレードでは「グランドマーシャル」と呼ばれ、参加者や街頭の観衆から栄誉を受ける慣わしがあります。

まさに政治家としてのミルクの絶頂期、「カムアウトしよう!」と力強く訴えるミルクの姿をパレードで目にするのは、これが最後となってしまいました。
ミルクは、同僚議員であるダン・ホワイトの手による銃で、当時のサンフランシスコ市長ジョージ・モスコーニとともに、市庁舎内で殺害されてしまったからです。


世界中のひとびとの人権が尊重され、あらゆるマイノリティに対する差別が是正されることを願ってやみません。
たくさんの人々に観てもらいたい映画です。



鑑賞日:2008年7月27日、第3回青森インターナショナルLGBTフィルムフェスティバルにて。

2008/07/27

サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)
ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 460
  • 発売日: 1986/01

サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』(野崎孝訳)を読了しました。
『復活』のあとに、『ナイン・ストーリーズ』を読んだので、ギャップがすっごく大きくて、1940~50年代のアメリカ文化に慣れるのにしばらく時間がかかりました。

収録作品は、「バナナフィッシュにうってつけの日」、「コネティカットのひょこひょこおじさん」、「対エスキモー戦争の前夜 」、「笑い男」、「小舟のほとりで」、「エズミに捧ぐ」、「愛らしき口もと目は緑」、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」、「テディ」という9つの短編です。

やっぱりサリンジャーを読むのは、夏にかぎります。
『ナイン・ストーリーズ』を読んで、モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」(1924-43)をイメージしました。
乾いていて歯切れがよく、活気がある都会のリズム。

◇◇◇

サリンジャーは、子どもを描くのが、ほんとうに上手い作家だなぁと思いました。
「コネティカットのひょこひょこおじさん」、「小舟のほとりで」、「笑い男」、「テディ」など、すばらしいですね。
子どもたちの痛々しいまでの純粋さ、感受性の強さが生き生きと表現されています。

ラモーナはベッドのぎりぎりの端っこに寄って眠っていた。右のお尻が外にはみ出している。眼鏡はきちんと畳んで、ドナルド・ダッグの絵のついたかわいいナイト・テーブルの上に、つるを下にして置いてあった。
「ラモーナったら!」
娘ははっと息をのんで目を覚ました。そして、パッチリと目を開けたが、とたんにそれを細くしかめながら「ママ?」
「あんた、ジミー・ジメリーノは車に轢かれて死んじまったって言ったでしょ」
「なあに?」
「とぼけたってだめ。どうしてこんな端っこに寝るの?」
「だって、ミッキーが痛くすると困るんだもん」
「誰ですって?」
「ミッキーよ」ラモーナは鼻をこすりながらそう言った「ミッキー・ミケラーノ」
エロイーズは思わず悲鳴に近い甲高い声で「ベッドの真ん中でお寝みなさい。さあ、早く」
ラモーナは、すっかりおびえきって、ただエロイーズを見上げているばかりである。
(サリンジャー「コネティカットのひょこひょこおじさん」)

ところで、サリンジャーの文章は、言葉遊びがとても多いですね。
野崎訳は、名文だと思いますけれど、
この言葉遊びの多さは、訳出するのがさぞ大変だったでしょう。
苦心のあとがみられます。

「コネティカットのひょこひょこおじさん」に登場する、ジミー・ジメリーノとかミッキー・ミケリーノという名前も、言葉遊びが面白いですよね。
ゴーゴリの『外套』に出てくるアカーキイ・アカーキエヴィチみたいです。
なんて笑える名前でしょう。
ゴーゴリ作品も、言葉遊びのオンパレードですね。



読了日:2008年7月26日

「炎のアンダルシア」(ヨーセフ・シャヒーン監督)

炎のアンダルシア [DVD]
炎のアンダルシア [DVD]
  • 発売元: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2003/10/25

ヨーセフ・シャヒーン監督「炎のアンダルシア」(1997年、原題 المصير)を観ました。
原題は、アラビア語で「運命」を意味する「アル・マスィール」。
エジプト映画界の巨匠ヨーセフ・シャヒーン監督の、壮大な歴史ロマンです。
カンヌ映画祭第50回記念特別賞を受賞し、「心のパルムドール」と賞賛されました。

舞台は12世紀、世界の文化の都アンダルシア。
ムワッヒド朝第3代カリフ、マンスールの権力転覆を企てる原理主義セクトの陰謀で、哲学者アヴェロエス(アラブ名イブン・ルシュド)の思想が焚処刑にされていきます。

  • アヴェロエスの本を救おうとする弟子たちの奮闘
  • アヴェロエスを敬愛する兄王子ナセルと、アヴェロエスの娘サルマの恋
  • 弟王子アブダッラーと酒場で働くサラの身分違いの恋
  • サラの姉マヌエラとその夫マルワーンの、アブダッラーを息子のように思う愛情
  • 原理主義者セクトと、それを背後で操る富豪のシェイフ・リヤードの大きな陰謀

このように複数の物語が同時に進行して、繁栄を享受していた時代のイスラーム社会の「イントレランス」(不寛容)を描き出しています。

◇◇◇

作品の中でアブダッラーは、原理主義セクトに洗脳され、人格が豹変します。
アブダッラーの豹変に悲しむサラでしたが、マヌエラとマルワーンは、アブダッラーに人間の心を取り戻そうと、励ますのです。

映画に登場する原理主義セクトは、明らかに現代のイスラム原理主義組織がモチーフとして表現されていますが、実際にムワッヒド朝にそのようなセクトが実在したわけではないようです。
シャヒーン監督は、歌や踊り、飲酒、化粧、男女が街中を一緒に出歩くことなどを厳しく取り締まり、ユダヤ教徒やアヴェロエスのような思想家を弾圧したマンスール治世のムワッヒド朝を、現在の宗教的過激主義と重ね合わせているのでしょう。

「思想には翼がある。その羽ばたきは誰にも止められない」というシャヒーン監督のメッセージは、イスラム原理主義だけではなく、人間の尊厳を奪うあらゆるイントレランスに対して、批判の眼差しを向けているのだと思います。
ここには限りなく普遍的な、シャヒーン監督のヒューマニズムがあるのです。



鑑賞日:2008年6月19日

2008/07/26

「生きる」(黒澤明監督)

生きる [Blu-ray]
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  • 発売元: 東宝
  • 発売日: 2009/12/18

黒澤明監督「生きる」(1952年)を観ました。
製作当時、黒澤監督は42歳。
日本が戦後の混乱期を終え、高度成長期へと入っていった時代の作品です。
ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞しています。


『生きる』は、「死」から「生」への再生のドラマです。
「いすを守るだけの人生」を送ってきた市役所の市民課長渡辺は、ある日突然、自分が胃がんであと半年しか生きられないだろうということを知ります。
これまでの人生で、「生きた時間」がなかった彼は、役所を無断欠勤し、生の意味を求めて夜の歓楽街をさまよいますが、歓楽街をいくらめぐっても、彼の心の空白は埋まらず、彼の彷徨はつづきます。

市役所にいると退屈で死にそうだと辞職願を持ってきた、部下の若い女性職員、とよ。
渡辺は、生き生きとした生命感のあふれるような彼女に強く惹かれ、食堂へ行き、スケートで一緒に滑り、公園へ、映画館へ彼女を連れまわします。
滑稽にすら見える彼の行動は、彼自身にとっては真剣そのものでした。
嫌がるとよに頼み込み、最後に喫茶店で会ったとき、渡辺は自分の死期が近いことを告げ、どうしたら君のように生きられるのか教えてくれと迫ります。
とよは驚き、答えに困りながらも、風呂敷から自分で作ったうさぎのおもちゃを取り出し、ネジを巻いてみせます。
彼女はおもちゃを製造する町工場に転職していたのでした。
「こんなもんでも、作ってると楽しいわよ。私、これ作り出してから日本中の赤ん坊と仲良しになったような気がするのよ。課長さんもなにか作って見たら...」
渡辺は、かたかたと動くうさぎをじっと見つめます。
その、鬼気迫る異様な眼。
その時、渡辺の表情が急に変り、「いや...遅くはない...いや...無理じゃない...あすこでも...やればできる...ただ...やる気になれば...」
渡辺はうさぎをつかむと、よろめきながら出て行きます。
彼はまさにこの瞬間、生まれ変わったのでした。

二人の背景には、誕生パーティを準備する学生たちのにぎやかな光景が置かれています。
出ていく渡辺が階段を降りるのとすれ違いに、祝ってもらう少女が上がってきます。
階段の上から学生たちがいっせいに、「ハッピー・バースディー・トゥー・ユー」と歌いだします。
その歌声はまるで、生まれ変わった渡辺の、新しい誕生を祝う歌のように響くのです。
なんて象徴的で優れた演出でしょう。
自分の人生を歩き始めた渡辺は、住民から陳情されたまま放置されていた公園の建設に、残された一生をかけるのです。

◇◇◇

『生きる』は、わたしが初めて観た黒澤映画です。
今まで観た日本映画の中で、最高の名作だと思いました。
苦悩する「小さな人間」である渡辺が、死を目前にして、「他者のために生きること」に、生の意味を見出すというところが、一番心に響きました。

同じ時期に読んだ、トルストイの『イワン・イリイチの死』は、透きとおった何かきれいなもので、心が浄化されるように感じました。
映画「生きる」は、濁っているけれど、あたたかくて、やわらかいもので、心がいっぱいになりました。



鑑賞日:2008年5月24日

2008/07/25

コンラッド「闇の奥」

闇の奥 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 1958/1/25


コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness,1902)を読了しました。
『闇の奥』は、彼が河蒸気船の船長として、1890年6月12日から12月4日まで、ベルギー領コンゴに滞在した体験に基づいて書かれている、自伝的小説です。
コンラッドが所属していた「奥コンゴ貿易会社」は、奥地開発を名目として、象牙採集で原住民たちを搾取する会社であったことは、作品にある通りです。
彼が初めて目にしたアフリカ奥地の真実は、船乗りコンラッドを殺して、植民地事業の実体を告発する作家としてのコンラッドを生みました。
コンゴ最奥地の密林でマーロウ、すなわち作者コンラッドが見た「闇の奥」(Heart of Darkness)とは何だったのでしょうか?


1.植民地事業という「闇」


マーロウにとって、はじめ「闇の奥」は、文明の光がさしていない、暗黒大陸アフリカの奥地を意味していました。
彼は、そのアフリカ大陸を蛇にたとえます。そして蛇に魅入られた小鳥のように、アフリカ行きを望むのです。

とぐろを解いた大蛇にも似て、頭は深く海に入り、胴体は遠く広大な大陸に曲線を描いて横たわっている。そして尻尾は遥かに奥地の底に姿を消しているのだ。とある商店の飾窓に、その地図を見た瞬間から、ちょうどあの蛇に魅入られた小鳥のように、―そうだ、愚かな小鳥だ、僕の心は完全に魅せられてしまった。
(コンラッド『闇の奥』中野好夫訳、以下同)

しかし、アフリカに到着して、マーロウの抱いていた夢は、急速に悪夢の色を帯びはじめます。

まるで過熱した墓穴を思わせるような、沈黙と土臭のする大気、侵入者を拒もうという大自然の意志のように、危険な渚の涯しなくつづく索漠たる海岸、生きながら死相を湛えた大気の流れ、―それらの到るところで、死と貿易との陽気な舞踏がつづけられているのだった。

そして、マーロウが河口の出張所で目にするものは、原住民を酷使する非能率な白人たちの姿でした。
鉄道敷設の工事をやっているらしいトロッコは、まるで「動物の死骸」のように横たわり、レールは錆びついて放り出されています。
痩せ衰えた6人の黒人が首に鉄の枷をはめられ、よろめきながら歩いています。木陰を歩くと、「病苦と飢餓との黒い影」すなわち瀕死の黒人たちが雑然と転がっています。
森は、彼らの「死を待つところ」だったのです。
マーロウは、「まるで暗澹たる地獄にでも飛び込んだような気がした」と語ります。
マーロウは黒人たちを、単なる搾取の対象と見なしてはいなかったのでしょう。
鉄枷をはめられた黒人たちを目撃して、彼は「この人間どもを、どう考えてみても、敵だとは言えまい。」と感じます。
マーロウは、白人によって、「海岸のあらゆる僻陬から連れて来られ、不健康な環境、慣れない食物に蝕まれ、やがて病に仆れて働けなく」なるまで酷使される黒人の惨状、すなわち植民地化の実体を目の当たりにするのです。

植民地事業の理念とは、商業を活発化し、産業を起こし、進歩をもたらし、蛮族を教化するという大義です。
しかし、果たして本当に白人たちは、そのような文明化の使命に燃えてアフリカへ向かったのでしょうか。
「もちろん金儲けのためさ。どう、いけないかい?」と、マーロウと中央出張所への旅路をともにした白人は、いかにも侮蔑するように答えます。
中央出張所の白人たちは、まるで象牙に向かって祈ってでもいるかのような「破戒無慙の巡礼」であり、「その祈りの中には、あたかもあの死屍から発する腐臭にも似た、愚かな貪婪の臭い」がただよっていました。
マーロウは、あらゆる白人たちが押し込み強盗のように、理想も持たず、貪欲さに支配されていることを知るのです。

このように、植民地事業は、原住民を教化する大儀の下で、実は象牙という物質的利益を得ようとする事業でした。
「闇の奥」という言葉は、前述の通り、アフリカ出発前はマーロウにとってアフリカの奥地を意味していました。
しかしアフリカに到着し、植民地事業の理念と現実との大きな隔たりを目撃した時、「闇」は、植民地事業そのものを意味するようになったと思います。
この言葉は、政治的な広がりを持ちはじめたと言えるでしょう。


2.「闇の奥」-クルツを変貌させた「闇」


マーロウは、病気のクルツを収容するため、河蒸気船に乗って最奥地の出張所へ旅立ちます。すなわち、「闇の入り口」から「闇の奥」への旅を始めるのです。
マーロウは、「地上には植物の氾濫があり、巨木がそれらの王者であった原始の世界へと帰って行く思い」であると語り、奥地へ向かう自分たちを「先史時代の地球、そうだ、まだ未知の遊星という相貌を残していた地球上の放浪者」であると見なしています。
河蒸気船が一歩一歩、深く奥地へ進むにつれて、マーロウの言葉には原始性を暗示させるものがしだいに表れ始めます。
そして、何百万の樹々に囲まれ、「人間の卑小さ」をひしひしと感じるのです。
そうした意識の芽生えはマーロウに、飢えに苛まれながら汗して働く黒人たちと、文明開化の炉火を掲げてやってきた白人たちとが、同じ人間であることを強く認識させます。

彼等は唸り、跳ねり、旋廻し、そして凄まじい形相をする。―だが、僕等のもっとも慄然となるのは―僕らと同様―彼らもまた人間だということ、そして僕自身と、あの狂暴な叫びとの間には、遥かながらもはっきりと血縁があるということを考えた時だった。

「闇の奥」を訪れたマーロウが目撃したのは、文明の使者から原住民たちの神へと変貌した、クルツの姿でした。クルツは、彼自身が「蛮習抑制国際協会」のための報告書に記しているように、

僕等白人が、現在到達している文明の高さから考えて、「彼等(蛮人)の眼に超自然的存在として映るのはやむをえない、―吾々はあたかも神の如き力をもって彼等に接するのである」(同上)

文明の力によって湖沼地帯の原住民部族を打ち従え、彼等に崇められる支配者となったのです。本来のクルツは、「非常に非凡な人物」でした。
彼は、文明社会のあらゆる美徳を身につけており、文明化の理想に燃えて、コンゴ奥地の貿易支部を熱心に志願したのでした。なぜ教養ある文明人である彼が、原住民を支配する神、すなわち象牙略奪の悪魔として、その地方一体を荒らしまわったのでしょうか。
わたしは、クルツが全身を浸していた西欧文化こそが、彼の変貌の根底にあると考えます。
原住民たちを支配し、神として野蛮の権化と化したクルツは、それを可能にする原住民たちへの憎悪と、常に同居していたと言えます。
前述の報告書の最後に付け加えた、「よろしく彼等野獣を根絶せよ!」という言葉から明らかです。
これは、決して彼の性格に起因するものではありません。
彼が受けてきた教育の成果なのです。
西欧の文明化をもたらした啓蒙思想は、理性と教養ある市民のみを人間とみなすものと言えます。
それゆえ、人間の枠に入れられることがなかった二級市民としての貧困層や女性、そして何より植民地の原住民たちへの搾取を正当化しました。
わたしは、こうした差別の思想がクルツの原住民に対する憎悪を増長させ、彼の支配と抑圧を思想的に正当化したと思います。

すなわち、クルツが象牙への際限のない欲望に身を委ね、自分に逆らった原住民たちの首を柱の先にのせて並べる悪魔と化したのは、人間を人間と見なさない差別の思想が根本にあったと言えるのではないでしょうか。
植民地事業が「闇の入り口」であるとするならば、闇の奥へ深く入っていったマーロウが発見した「闇の奥」は、文明化の思想の根底にある、深刻な差別意識だったと言えるでしょう。


3.おわりに


クルツと同じ旅路を辿ったマーロウは、しだいに黒人たちを支配の対象としてではなく、同じ人間として親近感すら抱くようになります。
彼は、クルツのような多くの白人にとっては「サハラ砂漠の砂一粒ほどの値もない」黒人の舵手の死を悼み、非常な悲しみを感じるのです。

あの彼が傷を負った時、じっと僕の顔を見た底知れぬ親愛に満ちた表情は、―いわば人生至上の瞬間に突如として確認される遥かな肉親の繋がりのように―いまなお僕の記憶にはっきり残っている。

この点において、クルツとマーロウは大きく異なると言えます。
原始の闇に包まれ、孤独と恐怖にさいなまれた二人は、全く異なる人間観を抱くに至りました。理性と教養を兼ね備えたクルツではなく、
根っからの船乗りであるマーロウが、植民地事業に対する疑問や、黒人に対する愛着を、直観的に見出すのです。
これは、きわめて暗示的です。


コンラッドは、『闇の奥』を通して、文明開化を唱えながら物質的利益獲得のためには、原住民を搾取する植民地主義を批判しているだけではありません。
たとえクルツのような、文明社会の理想に対するひたむきな姿勢があったとしても、搾取と抑圧の構造をもたらすことを指摘していると思います。
言い換えれば、文明開化の理念そのものを、告発しているのです。
そして、理性と教養の限界性を告発し、人間性の回復を図る担い手となるのが、「生ける人間」としての労働者であることを、暗示しているのではないでしょうか。




読了日:2007年2月18日

2008/07/24

トルストイ「復活」(下巻)

復活〈下〉 (新潮文庫)
復活〈下〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2004/12

★トルストイ「復活」(上巻)

トルスイ『復活』、下巻を読了しました。

『復活』は、"「淪落の女」を救い出す"恋物語の系譜だと思います。
しかし、刑務所とそこで生きる囚人たちを徹底して写実し、裁判制度や貴族の土地所有制度など、犯罪を生む貧困の構造をつくっている社会体制に、批判の眼差しを向けているのは、他の"「淪落の女」を救い出す"恋物語にはない試みです。

今回、メロドラマの背景にあるトルストイ主義を、色濃く感じました。
すごく、「転回」後のトルストイらしい作品です。


"「淪落の女」を救い出す"というテーマは、19世紀のロシア文学の流行でした。
男性が自己を犠牲にして女性に尽くすことは、当時の知識人の間では、理想の恋とされていたようです。

売春婦に恋をして、彼女を奈落から救い出そうと献身的に尽くす男性の愛は、ほんどんどが報われずに、拒絶されてしまうんですよね。
そういう意味では、悲恋物語です。
ペテルブルグのような20万都市に、3~4万人もの売春婦がいたという悲惨な現実を、やっぱり反映していたのでしょう。


読了日:下巻 2008年7月22日

2008/07/15

トルストイ「復活」(上巻)

復活 (上巻) (新潮文庫)
復活 (上巻) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2004/10

トルストイ『復活』(1889-99年)、上巻を読了しました。
新潮文庫の木村浩訳です。

『戦争と平和』を読んだあとに、最後の長編である『復活』を再読すると、
トルストイの、作家としての成熟がよく分かる気がします。
上巻は、トルストイお得意の生き生きとした貴族社会の描写が、ほとんどありません。刑務所の劣悪すぎる環境と、悲惨で滑稽で、それでいて愛おしい女囚たちの生が、描かれています。

◇◇◇

トルストイの人間観察眼の鋭さに、今回あらためて気づかされたので、引用します。

 ふつう世間では、泥棒とか、人殺しとか、スパイとか、売春婦などというものは、自分の職業をよくないものと認めて、それを恥じているにちがいない、と考えがちである。ところが実際はまったくその逆なのである。世間の人びとはその運命なり、自分の罪悪や、過失なりによって、ある特定の立場に置かれると、たとえそれがいかに間違ったものであろうとも、自分の立場が立派な尊敬すべきものに見えるように、人生ぜんたいに対する見方を、自分に都合よく作り上げてしまうものなのである。そのような見方を維持するために、人びとは自分の作り上げた人生観なり、人生における自分の位置なりを認めてくれるような仲間たちに本能的にすがりつくのである。われわれにしても、その腕のよさを鼻にかける泥棒とか、淫蕩を自慢する売春婦とか、残忍ぶりを誇る人殺しなどについては、驚きあきれざるをえない。しかし、われわれがあきれるのは、これらの人びとの仲間や雰囲気があまりにも限定されたものであり、われわれ自身がその外に置かれているためである。しかし、自分の富すなわち略奪を誇る金持ちとか、自分の勝利すなわち殺人行為を誇る軍司令官とか、自分の権力すなわち圧政を誇る権力者などの間にも、やはりこれと同じ現象が生まれているのではないだろうか? われわれはこれらの人びとの中に、自分の立場を正当化するために、人生観や善悪の観念の歪曲を見出さないのは、そのような歪曲された観念をもつ人びとがはるかに多数をしめ、しかもわれわれ自身がそれに属しているからにすぎないのである。
(トルストイ『復活 上』木村浩訳、新潮文庫)


自己肯定できるような人生観や人間観を作り上げて、それによって自己肯定する犯罪者たちのメンタリティに、まず驚かされました。
そして、このようなメンタリティが、金持ちや軍司令官や権力者といった社会の多数派の人びとにも当てはまり、さらに悪いことに彼らが多数派であため、彼らの人生観や人間観が、主流(正統)なものとされるという指摘には、ほんとうに学ばされました。


トルストイは、情景描写や人物描写がすばらしく上手い作家です。貴族も農民も兵卒も仕官も役人も、囚人たちでさえ、いま息をしているかのようなリアルさがあります。
でも、トルストイの描写力のもっともすばらしいところは、目に見える表層部分だけでなく、人間の内面の奥深いところ、その精神的特徴までつかみとって、活写しているところなのだと、今回あらためて思いました。


読了日:上巻 2008年7月14日

★トルストイ「復活」(下巻)

2008/07/10

関口和男「環境問題・哲学・科学-環境の哲学の可能性を探る序論その2」を読む


関口和男氏の「環境問題・哲学・科学-環境の哲学(Environmental Philosophy)の可能性を探る序論その2-」(法政大学人間環境学会、2002年)を読みました。構成は以下の通りです。

はじめに
1.環境問題・哲学・科学とは何か?
2.環境問題と哲学
3.環境問題と科学
4.哲学と科学
おわりに

関口氏は第2章において、アルネ・ネスのディープ・エコロジー論とピーター・シンガーの実践の倫理について論じていますが、ここではディープ・エコロジー論についてのみ書きます。

◆◆◆

関口氏は、「ここにおいては、彼の思想の内実を詳細に検討するのではなく、むしろ1973年の論文でのテーゼから、1984年のセッションズとの共同構想を経て翌年(1985年)デュヴァル・セッションズの共著『ディープエコロジー』の中へ明確に仕上げられたテーゼ("platform")への移行がなぜ起こったのか、その理由を中心してディープエコロジーの哲学的な性格を考えてみたい。」と問題提起し、フレア・マシューズの見解を引用して理由づけしています。

関口氏がディープ・エコロジーについて論じるのに参照しているのは、"A Companion to Environmental Philosophy"(edited by Dale Jamieson,2001)に収録されている、フレア・マシューズが執筆した"Deep ecology"です。関口氏が論じている、アルネ・ネスの1973年論文でのテーゼから、1984-85年のplatformへの移行がなぜ起こったのか、という問題提起は、フレア・マシューズが"Deep ecology"の中ですでに詳しく論じています。したがって、関口氏の論文は、フレア・マシューズのディープ・エコロジー論の影響を強く受けていると言えます。
ちなみに、マシューズの"Deep ecology"は、ディープ・エコロジーについての良いまとめになっていると思います。

◆◆◆

関口氏は、ネスの自己実現論を、トマス・ヒル・グリーンの哲学を利用しながら論じ、「グリーンの思想のうちで共通善の概念が果たす役割を、ネスのエコソフィーでは何が果たしているのであろうか。たしかに、ネスは「自己の外への熱愛("fallin in love outward")」なる言葉を使うが、この神秘的、よく言って情緒的観念をもって、抽象概念とすることに、ネスのエコソフィーの哲学的営為としての限界が垣間見られるのである。」と、結論づけています。

この部分に、すごく違和感を覚えました。ネスの著作中で、「自己の外への熱愛("fallin in love outward")」という表現を見た記憶がなかったからです。本当にネスがそう表現しているとすれば、たしかに関口氏が言うように、ネスのエコソフィーは哲学ではなく「賢者の箴言」でしょう。でも、この箇所には注釈が付けられていなかったので、引用元がはっきりしませんでした。本当にネスの発言かどうか気になったので、"Companion"をみてみますと、フレア・マシューズは以下のように表現しています。
Although Naess is careful not to equate self-realization with happiness,in any personal sense thereof,he promises that the joy and meaningfulness of life are increased through increasing self-realization.The conditions under which the self is widened are,he says,experienced as positive and basically joyful;such expansion is akin to "falling in love outward".
(Mathews,Freya."Deep ecology",in Dale Jamieson(ed.),A Companion to Environmental Philosophy,Massachusetts:Blackwell Publishers,2001,pp.218-232.)

関口氏は、おそらくこの箇所から上述の見解を導出しているのでしょう。
しかし、マシューズが言っているのは、<ネスの言う自己実現は、いわゆる "falling in love outward"の状態だよ>ということです。このことから、 "falling in love outward"は、ディープ・エコロジストが自然との一体化を説明する際にしばしば利用する一種の慣用表現で、ネスが直接言っているわけではないのでは?と思いました。

そこで、 "falling in love outward"で調べてみたところ、デヴァルの論文に行き当たりました。
1995年のTrumpeter(ディープ・エコロジーに関する専門誌)に掲載された"Greening our Lifestyles:The Demise Of The Ecology Movement?"です。

The ecosophical poet Robinson Jeffers suggested that,in the post-exuberant era,we learn to "falling in love outward",with the great beingness of life.Lovers who fall in love outward do not "harvest" their love of a forest, a seashore,or nature.
(Devall,Bill."Greening our Lifestyles:The Demise Of The Ecology Movement?",in Trumpeter,Vol 12,No 3,1995)

というわけで、 "falling in love outward"という言葉はロビンソン・ジェファーズが用いた表現だったのですね。
詩人であるロビンソン・ジェファーズであれば、「自己の外への熱愛」という情緒的な表現も理解できます。
また、ロビンソン・ジェファーズの"falling in love outward"という表現は、ジョアンナ・メイシーの『世界は恋人 世界はわたし』と通じる部分があると思います。

1973年に、アルネ・ネスが初めて提唱したディープ・エコロジー論は、多くの人々の共感を呼びました。現在では、アルネ・ネスの思想からインスピレーションを受けて、数多くの詩人や活動家たちが、実際にディープ・エコロジー運動を展開しています。
関口氏の論文を読んで、ディープ・エコロジーについて論じるとき、アルネ・ネス自身が執筆したアルネ・ネス哲学と、アルネ・ネスに共感する思想家・哲学者たちの議論、さらに実際の活動家たちの行動は、厳密に分けて考える必要があると思いました。




2008/07/06

トルストイ「戦争と平和」(4)

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)
戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 820
  • 発売日: 2006/02

★トルストイ「戦争と平和」(1)
★トルストイ「戦争と平和」(2)
★トルストイ「戦争と平和」(3)

ついに『戦争と平和』全4巻読了しました。
わたしのいまの感動を、音楽であらわすと、ヘンデルの「祭司ザドク」です。ぴったりです。
というわけで、Zadok the Priestを聴きながら書きましょう。

◇◇◇

4巻は、トルストイの歴史観が雄弁に語られます。
3巻から、少しずつ彼の独創的な歴史解釈が語られているので、引用してみます。

カルル九世によってその命令をあたえられた聖バーソロミュー祭の夜が、彼の意志によって起こったことではなく、それをおこなうことを命令したように彼に錯覚されたにすぎないのだという想定、ボロジノの八万人の殺戮がナポレオンの意志によって起こったものではなく(彼が会戦の開始と進行について命令をあたえた、という事実にもかかわらず)、それを命じたように彼に錯覚されたにすぎないのだという想定、これらの想定が一見していかに奇異に思われようとも、われわれの一人一人が偉大なナポレオンより、人間として以上でないまでも、けっして以下ではない、とわたしに語りかける人間の価値というものが、この解答を認めることを命じるし、歴史上の研究がいくらでもこの想定を裏づけてくれるのである。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

4巻からも、同様のテーゼを引用します。

人類の運動の目的としていずれかの抽象概念を措定したうえで、これらの歴史家たちは、皇帝、大臣、司令官、作家、改革者、法王、ジャーナリストなど、もっとも多くの足跡をのこした人々を、―それらの人々が、彼らの観点から、所定の抽象概念に協力または妨害した度合いに応じて、―研究するのである。しかし、人類の目的が、自由、平等、啓蒙、あるいは文明にあったことが、何によっても証明されていないし、大衆と支配者や人類の啓蒙家との関係が、大衆の意志の総和は常にわれわれの目にたつ人々に移されるものだという恣意的な仮定を基にしているだけなので、住んでいる土地をはなれたり、家を焼いたり、農業を捨てたり、殺しあったりしている数百万の人々の活動が、家も焼かないし、農業も営まないし、自分と同じような人々を殺しもしない、一にぎりの人々の活動の記述に表現されることは、ぜったいにないのである。
(トルストイ『戦争と平和 4』工藤精一郎訳、新潮文庫)

彼の歴史観は、独創的なのかもしれないのですけれど、『戦争と平和』がその思想に基づいて書かれているので、読者としては、読みすすめているうちにその歴史観が自然と身につくというか、上記のように作者があらためて語りを入れなくとも、実感によって理解できます。

最下層の兵卒たちの、なんと生き生きと描かれていることでしょう!
トルストイの歴史観が、ちっとも奇異に感じられません。
そこが、トルストイのすごいところだなぁと思います。


読了日:第4巻 2008年7月6日

2008/07/05

「ベニスに死す」(ルキーノ・ヴィスコンティ監督)

ベニスに死す [DVD]
ベニスに死す [DVD]
  • 発売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • レーベル: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2010/04/21

ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971年、原題 Morte a Venezia)を観ました。
トーマス・マンの同名小説が原作、1976年に死去したヴィスコンティ監督の晩年の名作です。

夏のヴェネツィアへ、転地療養に訪れた作曲家アシェンバッハは、ホテルのサロンで、完璧な美を具現する少年タジオに出会い、一目で心を奪われます。
初老の作曲家が美少年に恋いこがれ、苦悩しながらも、まるで、すいよせられるように「死」へと導かれていく姿が描かれています。


この映画には不吉な「死」の影が、全編にわたってちりばめられています。
ヴェネツィアに到着したばかりの船の中で、アシェンバッハに話しかける、化粧をした醜悪な老人。
彼はタジオとの出会いを予告するかのように、「あなたの可愛い方によろしく」と言います。
あるいはホテルのテラスで演奏する、化粧をした辻音楽師。彼は、わざとアシェンバッハに見せつけるように、彼の前で歌います。それは、「死」の告知を暗示しているのではないでしょうか。
辻音楽師が、一度ホテルの支配人に追い出されても、もう一度戻って演奏する演出は、抗うことが困難な「死」の強さを、意味していると思います。
理髪師が施したアシェンバッハの若返りの化粧も、彼自身は若返って、タジオに愛の告白ができると喜んでいますが、死化粧そのものであり、彼の運命をを「死」へと加速させます。


ヴェネツィアの街も、しだいに「死」の影を色濃くしていきます。
ホテルの優雅なサロンや、バカンスを楽しむ浜辺の情景とは対照的に、もう一つの醜悪な姿が浮き彫りになります。
駅では浮浪者が伝染病で突然たおれ、広場には消毒液の鼻につく異臭、アシェンバッハが通りかかると、物乞いの黒衣の老女が、膝に顔を埋めたまま手を差し出します。
街じゅうの人々が伝染病の蔓延を知りながら、観光客が減ることをおそれて、それをひた隠しにしているのです。
やがて路地のあちこちでは病人の物が焼かれてるようになり、街は薄汚れて荒涼としていきます。
その醜悪な情景こそ、「海の女王」と称えられたヴェネツィアの、退廃し、疲弊した真実の姿かもしれません。
アシェンバッハの老いと共に、滅びゆく都ヴェネツィアも、避けがたい「死」の運命にあるというメッセージでしょうか。

◇◇◇

そして、浜辺でタジオを見つめながら、恍惚としてアシェンバッハは死んでいきます。
その死は、化粧の白粉が汗で溶け、白髪染めが黒い筋となって流れ落ち、冷酷なほど醜悪に描かれています。

わたしは、彼の「死」が耽美的だとは思いません。
煙と煤にまみれて病んだヴェネツィアが、どうしようもなく醜悪なように、ヴィスコンティ監督は、滅びゆくものの美しさを、はっきりと否定しているのだと思います。
アシェンバッハの死の場面は、美しく描こうと思えばいくらでも美しくできたでしょうに、それをしなかったのは、監督に美しく描く意志がそもそも無かったからでは、と思うのです。

ただ、その醜悪さにすら、ヴィスコンティ監督は愛おしさを含んだ眼差しを向けているため、わたしたち観る側に、彼の死を「美しいもの」と錯覚させるのかもしれません。
全編を流れるマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調 第4楽章アダージェットの、甘く哀しい旋律が、醜悪な滅びゆくものへの、アンビヴァレントな愛着心を、いっそうかきたてますね。


鑑賞日:2008年4月29日

2008/06/29

トルストイ「戦争と平和」(3)

戦争と平和 (3) (新潮文庫)
戦争と平和 (3) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 900
  • 発売日: 2005/12

★トルストイ「戦争と平和」(1)
★トルストイ「戦争と平和」(2)

トルストイ『戦争と平和』第3巻を読了しました。
今回は、読むのに少し時間がかかりました。
というのも、あの「ボロジノの戦い」(1812年)が、3巻の中心だからです。
1巻からうっすらそんな気がしていたのですけれど、わたしは戦争の描写が苦手なのだ、ということが今回はっきりしました。

◇◇◇

印象に残った場面をいくつか紹介します。
まずは病がようやく癒え、礼拝で祈祷するナターシャの心情吐露。

『神さま、この身を御意にまかせます』と彼女は考えた。『何も欲しません、何も望みません。お教えください、何をしたらよろしいのでしょう、自分の意思をどのように用いたらよろしいのでしょう! 神さま、あたしをささげます、あたしをお受けください!』とナターシャは心にみちてくる感動をおさえきれずに、こうつぶやくと、十字も切らずに、いまにも目に見えぬ力が自分を抱きとり、自分の身から、自分の哀惜や、願望や、非難や、希望や、過失から、解放してくれるのを待つかのように、ほっそりとした両腕を垂れたまま立っていた。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

ナターシャという女性は不思議な(複雑な)キャラクターです。
少女から成熟した女性への移り変わりが描かれているので、とても魅力的なのですけれど、手放しで好きになれない(共感できない)気がします。
無邪気さと残酷さ(エゴイズム)が、違和感なく同居しているところ。そこが魅力であり、共感できないところかもしれません。
1巻からずっと思っていたのですけれど、ナターシャは『カラマーゾフの兄弟』のリーザと、似た匂いを感じます。

したがって、ナターシャがアンドレイ公爵との婚約を破棄し、アナトーリ・クラーギンと駆け落ちしようとしたエピソードは、とても彼女らしいと思いました。
もちろん驚いたのですけれど、予想の範囲内というか。いかにも、彼女が選びそうな行為と言いますか。
この人格設定は、ほんとうに秀逸だと思います。

◇◇◇

つづいて、ニコライ・ボルコンスキイ老公爵の死をめぐる、とてもとても感動的な場面。

「いつも考えていた! おまえのことを...考えていた」とつづいて彼は、これでわかってもらえると自身がついたらしく、いままでよりもずっとはっきりと、わかるように言った。公爵令嬢マリヤは嗚咽と涙をかくそうとして、老父の手に額を押しあてた。
老公爵は左手で彼女の髪をなでた。
「一晩じゅうおまえを呼んでいたんだよ...」と彼は言った。
「それがわかってたら...」と彼女は涙声で言った。「はいったら悪いと思いまして」
老公爵は娘の手をにぎりしめた。
「眠らなかったのか?」
「ええ、眠りませんでした」と頭を横に振って、公爵令嬢マリヤは言った。思わず父のまねをして、彼女は、父と同じように、むしろしぐさで話すようにつとめて、自分まで舌を動かすのがやっとのような思いになっていた。
「嬢や...それとも...おまえ...かな」公爵令嬢マリヤは聞き分けることができなかった、しかし、その目の表情から推して、これまで口にしたことのないような、やさしい愛撫の言葉が言われたことは、まちがっていなかった。「どうしてきてくれなかったのだね?」
『それなのにわたしは、このお父さまの死を、死を望んでいたなんて!』と公爵令嬢マリヤは思った。老公爵はしばらく黙っていた。
「ありがとうよ...娘や、やさしい...何もかも、よくしてくれたな...ゆるしてくれな...ありがとう...ゆるしてくれな...ありがとうよ!...」涙が老公爵の目から流れおちた。
(中略)
公爵令嬢マリヤはテラスに足をとめた。空は晴れわたって、陽光がまぶしく、暑かった。彼女は父に対するはげしい愛のほかには、何かを理解することも、何を考えることも、何を感じることもできなかった。彼女はこの愛をこれまで自分でも知らなかったような気がした。彼女は庭へ走り出た、そしてアンドレイ公爵が植えた若い菩提樹の並木道を池のほうへ駆けおりていった。
「それなのに...わたしは...お父さまの死を望んでいたなんて! そうだわ、早くおしまいになるように、わたしは望んでいたんだわ...心の安らぎを得ようとして...でも、わたしはどうなるのかしら? お父さまがいなくなったら、わたしの安らぎなんて何のために!」公爵令嬢マリヤは小走りに庭の中を歩きまわり、間歇的に慟哭を吹き上げてくる胸を両手でおさえつけながら、声に出してつぶやいた。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

もぅ、何も言うことがないです。感動です。涙です。
ナターシャとの比較で言えば、公爵令嬢マリヤはすごく誠実で素朴な性格だと思います。
そのため、共感しやすいし、応援したくなります。

◇◇◇

主要登場人物のなかで、女性にこだわって書くとしたら、あと、はずせないのがエレンでしょう。
彼女も、すごいキャラクターだなぁと思います。
エレンと比較すれば、『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェニカなんかは、ずっと誠実な気がしました。
エレンはある意味で、最強なことはまちがいないと思います。
今後、彼女の思惑が外れて、社交界から干されたりすることはあるのかなぁ...?

これから4巻を読みたいと思います。いよいよ最終巻ですので、楽しみです。


読了日:第3巻 2008年6月28日

★トルストイ「戦争と平和」(4)