2012/02/19

「ひまわり」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)

ひまわり デジタルリマスター版 [DVD]
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  • 発売元: 東北新社
  • 発売日: 1999/12/24

ヴィットリオ・デ・シーカ監督「ひまわり」(1970年、原題 I girasoli)を観ました。
映画部の2011年11月課題映画でした。

第二次大戦終結後のイタリア、ミラノが舞台。
主人公のジョバンナは、ロシア戦線に従軍した夫アントニオが、ソ連で行方不明になっており、夫が生きていると信じ、帰りを待ち続けている。
反戦映画として有名らしいですが、反戦メッセージよりも、はるばるソ連まで夫を捜しに行く、妻ジョバンナの意志の強さや、行動力、愛の深さに感動しました。

アントニオが従軍したスターリングラード攻防戦は、1942年~43年。
ジョバンナが、アントニオを探すためにソ連に渡るのは、雪解けムードの中。
スターリンが死んだのが1953年だから、ジョバンナは10年近い間、夫の帰りを待ち続けたわけですね。
わずか12日間しか、夫婦として共に過ごしていないのに、10年も変わらず愛し続けられるなんて、ジョバンナすごい。

ソフィア・ローレンは、撮影時35~36歳だったはずで、結婚当初のはじける若さのジョバンナと、10年後のうちひしがれて疲れたジョバンナを演じ分けられるのも、すごいですね。
服も髪型も飾って若さにあふれていた頃よりも、地味な服装と髪型で夫を待っている頃の方が、素の美しさが際立つな~と思いました。

◇◇◇

「ひまわり」は、西側初のソ連ロケが行われた記念すべき作品らしいです。
映画公開が1970年ということで、撮影はブレジネフ時代。
作品の中での年代設定は、フルシチョフ時代だと思われます。
撮影交渉は困難を極めたでしょうし、撮影を実現させたデ・シーカ監督ほか映画スタッフの熱意と努力が素晴らしいですね。

ジョバンナとアントニオが再会したソ連の駅は、すぐそばに大きな冷却塔が並んで立っています。
「ひまわり」のロケ地がウクライナなのは有名ですから、あれを見て、真っ先にチェルノブイリ原発が思い浮かんで、ゾッとしました~。
でも調べたら、チェルノブイリ原発は、1970年に建設が始まり、1977年に1号炉が完成したらしく、映画の撮影時期とズレるので、あのシーンはチェルノブイリ原発では無いようです。
モスクワ近郊で、発電所が隣接する駅はカナチコヴォ駅だけなので、そこがロケ地だろうと言われています。
したがって、「ひまわり」に登場した稼働中・建設中の冷却塔は、モスエネルゴ社の火力発電所のようです。


ソ連でのジョバンナの行動を整理すると、
  • ジョバンナがモスクワに着いて、外務省を訪れる。
  • 外務省の役人と列車でウクライナを訪れ、ひまわり畑と墓標の丘を案内される。
  • ウクライナで手掛かりが見つからなかったので、モスクワに戻り、レーニン・スタジアムで夫を捜す。
  • スタジアムの最寄の地下鉄のヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅で、イタリア人の元兵士と話す。
  • イタリア人と話をした地下鉄の駅から、東へわずか2kmほどのカナチコヴォ駅で、アントニオと再会。

◇◇◇

★ひまわり畑のロケ地はどこ?

無数のひまわりと、丘一面をおおう墓標のシーンは、強烈に印象に残りますね。
ひまわり畑に建てられた記念碑は、ロシア語で「ファシストに殺されたイタリアの兵士たち、ここに眠る」といった内容のようです。

ひまわり畑のロケ地について、日本語Wikipediaでは「ソ連で撮影されたものではなく、スペインで撮影されたもの」と書いてありますが、この記述は何をソースにした情報なのか、謎です。

IMDb(The Internet Movie Database)の撮影地情報では、
イタリアのロンバルディア州パヴィーア県ベレグアルド、
イタリアのロンバルディア州ミラノ、
ロシアのモスクワ市、
ロシアのモスクワ市クレムリン、
ウクライナ
と記述されていますし、英語Wiki、イタリア語Wiki、ロシア語Wiki、ウクライナ語Wikiでも、「ひまわり畑のロケ地はスペイン」と言う記述は全く見当たらなかったので、やはり日本語Wikiの情報は誤りでは、と思いました。

在ウクライナ日本大使館の公式サイトには、ひまわり畑のロケ地は、キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州だと書かれていました。
ひまわり畑の中で、ジョバンナが老婆に夫の写真を見せて、消息を尋ねるシーンがありますが、そのエキストラの老婆がウクライナ語で話していることが、ウクライナである証拠だそうです。

さらに、日本で販売された映画「ひまわり」のビデオの説明書には、 「(映画に出てくるひまわり畑は)ウクライナと信じておられる方には申し訳ないが,ひまわり畑はモスクワのシェレメチェボ国際空港の近くだった。」と記載されていたそうです。
在ウクライナ日本大使館のサイトでは、映画公開当時及びビデオが販売された時代は、ウクライナは旧ソ連の一共和国で、外国人はクレムリンから80km以上離れてはいけないと言う規則があったため、観光客がウクライナに押しかけるのを当局が恐れたため、あえて嘘情報を流したのではないかと書いてありました。

ウクライナでは現在でも、7月下旬頃には、一面に咲くひまわりを見ることができるみたいです。



鑑賞日:2011年11月22日