2017/07/24

イネストラ・キング「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」

世界を織りなおす―エコフェミニズムの開花
世界を織りなおす―エコフェミニズムの開花
  • 発売元: 學藝書林
  • 発売日: 1994/03

『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』とは?


アイリーン・ダイアモンド/グロリア・フェマン・オレンスタイン編『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』奥田暁子/近藤和子訳、学芸書林、1994年)を読みました。
『世界を織りなおす』は、1987年3月に南カリフォルニア大学で開催された、カリフォルニア人文科学委員会主催の「エコフェミニストの視点―文化・自然・理論」会議で発表された論文やエッセイが収録されています。
編者であるアイリーン・ダイアモンドは、オレゴン大学で教え、地元の緑の政治やエコフェミニストの教育活動などに参加しているとのことです。リー・クインビーとの共編著書『フェミニズムとフーコー―抵抗に関する省察』を出版。
同じく編者のグロリア・F・オレンスタインは、南カリフォルニア大学社会女性男性研究プログラムで教えているとのこと。著書に『女神の再開花』、『怪異の演劇―シュールレアリスムと現代劇』。「ニューヨーク市文学女性サロン」を共同主宰。

序論において、「エコフェミニズム」とは、「地球を救おうとする女たちの多様な行動」を表現する言葉であり、「女と自然についての新しい見方から影響を受けた欧米のフェミニズム」を表現する言葉でもある、と定義されています。

エコフェミニズムは地球を救おうとする女たちの多様な行動を表すために使われることばであるとともに、女と自然についての新しい見方から影響を受けた欧米のフェミニズムをあらわすために使われることばである。(『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』、序論、15頁)

このエコフェミニズムの源流として、自然の汚染と悪化に抗議した、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年)が紹介されており、カーソン自身はフェミニストを自認していませんでしたが、1970年の「地球の日」(アース・デー)運動につながる環境運動を先導しました。
そのため、エコフェミニズムは「まず最初に社会運動であり、思想でもある」と言われています。

「男が文化であれば、女は自然である」という伝統的な公式に代わるものを見つけようとしてきたフェミニストは、公的世界である市場に女性が入っていくことを求めるよりも根本的な意識の転換を求めて、自然対文化の二元論そのものを問い始めた。これらの活動家、理論家、芸術家たちは、世話をすることや育てることの価値を尊重する新しい文化を意識的に創りだそうとしてきた。この新しい文化は、文化よりも自然を、男よりも女を上位におくことによって二元論を永続化しよう、というのではない。そうではなく、地球上のすべての人が生態系と生命のサイクルのなかで生きていることを肯定し、祝福するのである。(序論、17頁)

序論によれば、エコフェミニズムには、「三つの思想の流れ」が生まれています。

①地球それ自体が聖なるものであり、地球上の森、川、さまざまな生物はそれ自体に価値があると強調する立場。
→抽象的な「地球全体」は個々の生物の特定のいのちより優先されるという立場ではない。

②社会的正義は地球の幸福と無関係に達成することはできない。
→わたしたちの生存と幸福が地球の生存と幸福に直接結びついているため。

③生まれた土地との結びつきが自己の存在とアイデンティティに非常に重要な意味を持つ、という先住民の視点から見る立場。
→地球がそれ自体価値をもっていることと、わたしたちが地球に依存していることは両方とも真実であると考える。

これら①~③の立場に沿って、『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』は、三部に分かれて構成されています。

①第一部「歴史と神秘」
  • シャーリーン・スプレトナク「エコフェミニズム」
  • ブライアン・スウィム「ロボトミーの癒し方」
  • リーアン・アイスラー「ガイアの伝統と共生の未来―エコフェニスト宣言」
  • サリー・アボット「子羊の血としての神の起源」
  • マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」
  • ポーラ・ガン・アレン「わたしが愛する女性は地球、わたしが愛する地球は樹木」
  • キャロル・P・クリスト「神学と自然を再考する」

第一部「歴史と神秘」では、「大地を神聖なものとして崇拝していた古代の女神文化を語る神話やシンボル」や、「先住民文化のシンボルや習慣」からインスピレーションを受けた論文やエッセイを収録しています。
古代の家父長制以前の歴史に戻り、エコフェミニズムの視点から、いくつかの神話の読み替え(再話と再構成)することで、「地球とともに生きる新しい文化」について提案しています。


②第ニ部「世界を織りなおす―政治と倫理の新しい関係」
  • スターホーク「権力・権威・神秘―エコフェミニズムと地球にもとづく霊性」
  • スーザン・グリフィン「道にそったカーブ」
  • キャロリン・マーチャント「エコフェミニズムとフェミニズム理論」
  • イネストラ・キング「傷を癒す―フェミニズム、エコロジー、自然-文化二元論」
  • リー・クインビー「エコフェミニズムと抵抗の政治」
  • マーチ・キール「エコフェミニズムとディープ(深層)・エコロジー―類似点と相違点についての考察」
  • マイケル・E・ジンマーマン「ディープ・エコロジーとエコフェミニズム―対話を求めて」
  • ジュディス・プラント「共通基盤を求めて―エコフェミニズムと生命圏地域主義」

第ニ部では、エコフェミニズムの政治学と倫理学について、詳しく論じられています。
第三世界では、毎日の生活に必要な水、燃料、飼料を集めるために何マイルも歩かなければならない女性にとって、水や土地や森を維持し保護しようとする行動は、必然的に「環境闘争」と言えます。
リー・クインビーはミシェル・フーコーの理論を使って、エコフェミニズムを「抵抗の政治」として検討しています。
キャロリン・マーチャントとイネストラ・キングは、リベラル・フェミニズム、ラディカル・フェミニズム、社会主義フェミニズムのいずれもが、エコフェミニストの視点に貢献してきたことを論じ、それぞれのフェミニズムにおける、人間と自然の関係、自然に対する姿勢をより深く掘り下げています。
マーチ・キールとマイケル・ジンマーマンは、エコフェミニズムとディープ・エコロジーの相違点・類似点を論じています。


③第三部「わたしたちを癒し、地球を癒す」
  • アリシカ・ラザク「出産についてのウーマニストの分析」
  • リン・ネルソン「汚染された地での女性の居場所」
  • ヴァンダナ・シヴァ「西欧家父長制の新しいプロジェクトとしての開発」
  • アイリーン・ダイアモンド「胎児、先端医療技術専門家、汚染された地球」
  • アイリーン・ジェイヴォアス「都市の女神」
  • シンシア・ハミルトン「女性、家庭、地域社会―都市の環境を守るたたかい」
  • ジュリア・スコフィールド・ラッセル「エコフェミニストの誕生」
  • レイチェル・L・バグビィ「のびゆくものの娘たち」
  • キャサリン・ケラー「世界の浪費に反対する女たち―終末論とエコロジーに関する覚え書」
  • ヤーコブ・ジェローム・ガーブ「眺望、それとも逃避? 現代的地球像に関するエコフェミニストの黙想」
  • グロリア・F・オレンスタイン「癒しの芸術家―いのちを産む文化をめざして」

第三部は、「出産」や「生殖の産業化」など、今日の具体的な諸問題を分析し、「いのちの尊厳と幸福」を回復するための努力を提示しています。


第一部~第三部までの「三つの思想の流れ」があることは、エコフェミニズムが「一枚岩の、均質的なイデオロギーではない」ことを意味しています。
本書では、エコフェミニズムの「多様で多文化的なビジョン」を共有するため、学者や科学者による学問的な論文だけでなく、詩人、小説家、環境保護の活動家、宗教家らの書いた感情豊かな詩やエッセイをともに収録し、ジャンルによる区分を越えた構成となっています。

地球の荒廃と女性の搾取を結びつけた詩や儀式や社会活動を通じて、活動家たちはフェミニズムと社会の変革活動をともに活性化したのである。彼女たちがつくりだしたことばは、これまでのカテゴリーの領域を越えている。これらのことばは、理性と感情、思考と経験とのあいだには、生きたつながりがあることを認めた。このつながりのなかには、さまざまな人種の女や男だけでなく、人間以外の動物や植物などあらゆる形態のいのちと、そして生きている地球も含まれている。この再話と再構成の多様な糸がよりあわされて、生態系の相互関係性という、新しく、そしてより複雑な倫理が生み出されたのである。(序論、18頁)

本書の表題である「世界を織りなおす」とは、エコフェミニズムの思想と行動を「多様な糸」に喩えて、聖書や神話の読み替え(再解釈)による<世界観の変革>と、<政治・倫理の変革>を通じて、「わたしたちの考え方そのものを根本から変える」ことを意味しているのだと思います。
しかし、古代から<機織り>が女性を象徴する仕事であった歴史を考えると、世界を<織物>に喩えることは、女性性をより強調し、「伝統的な公式」を固定・補強するものになるのではないか、とわたしは疑問に感じました。
おそらくエコフェミニズムは、「伝統的な公式」にあえて乗っかるような表現を使って、その読み直し(再解釈・再構成)によって、「世話をすることや育てることの価値を尊重する新しい文化」の創造を目指しているのかもしれません。


イネストラ・キング「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」


『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』の中から、第ニ部「世界を織りなおす―政治と倫理の新しい関係」に収録されているイネストラ・キングの「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」の要点をまとめ、考察したいと思います。

イネストラ・キング(Ynestra King)は、ニューヨーク社会調査新学校のラング・カレッジで教えているとのことです。「ウィメンズ・ペンタゴン・アクション」を組織し、「女性・自然研究所」の共同創設者。著書に『女と世界を再び魔法にかけること』(Women and the Reenchantment of the world)があります。

現代のエコロジー危機は確かに、フェミニストにエコロジーを考えるきっかけを与えたが、エコロジーがフェミニズム哲学や政治の中心にくる理由は別である。エコロジー危機は、哲学・技術・殺人発明品をつくった白人・男・西洋の、自然と女性にたいする憎悪の体制につながる。労働者階級・白人でない人びと・女・動物の体系的蔑視は、西洋文明の根にある二元論にかかわる、とわたしは主張したい。しかし、ヒエラルキーをつくりだす心は、人間社会のなかにある。(イネストラ・キング「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」、『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』より186頁)

イネストラ・キングは、フェミニズム・エコロジー・人種差別反対・先住民族生存運動の目標はつながっており、「世界的な真の生命尊重運動」(プロライフ)として理解するべきであると主張しています。
この"pro-life"という言葉は、一般的には、人工妊娠中絶をめぐる議論において、中絶反対派によって使われており、中絶反対派を指して「プロライフ派」と呼ぶこともあります。
しかし、イネストラ・キングの考えでは、中絶反対派は「中絶禁止による強制出産を推進する戦闘的右翼」であり、「プロライフという言葉を曲解している」と論じています。
したがって、イネストラ・キングの主張する「プロライフ」は、中絶反対という狭い意味ではなく、この言葉本来の「生命尊重」という意味で使っていると言えます。


自然を是認するか・否認するか


イネストラ・キングは、フェミニズム運動におけるラディカル・フェミニズムの立場と、社会主義フェミニズムの立場、それぞれの女性と自然に対する姿勢を考察しています。
近代人権思想とともに生まれた第一波フェミニズムと比較して、1960年代後半にアメリカで起こった新しい潮流のフェミニズム(第二波フェミニズム)は、ラディカル・フェミニズムと呼ばれています。
登場当時は、このラディカル・フェミニズムも含めて、アメリカの新しい女性解放運動は、ウィメンズ・リベレーション・ムーヴメントと呼ばれました。
そのため、アメリカの運動に強い影響を受けて登場した日本の新しい女性解放運動は「ウーマン・リブ」と呼ばれました。
イネストラ・キングの定義では、ラディカル・フェミニストは「生物学的差異にもとづく男による女性支配が抑圧の根本原因とするフェミニスト」です。

男は女を自然と同一視し、男の恐れる自然と死から身を守る男の「プロジェクト」に両方が協力してくれるよう求めるのだ。女が自然に近いとするイデオロギーはこのプロジェクトには欠かせない。だから、家父長制が人間抑圧の原型とするなら、それをのぞけば、他の抑圧も同時に崩壊しよう。しかし、ラディカル・フェミニズムのなかには、二つの違いがある。すなわち、女・自然関係が解放につながるのか、それとも女に従属を強いるのか。(190頁)

イネストラ・キングによると、ラディカル・フェミニズムの女性と自然に対する意見は、「女性と自然の結びつきが解放のために役立つ可能性があるのか」女性と自然の結びつきが「女性の従属が続くことの理論的根拠になるのか」という論点があります。

この論点に対して、ラディカル・フェミニズムの中でも意見が大きく分かれています。
イネストラ・キングは、次の二派に分類しています。
女性と自然の結びつきを称賛し、女=自然関係は女性の「従属」の源ではなく、「自由」源という主張する立場が、「ラディカルな文化フェミニズム」
一方で、女性と自然の結びつきを否定し、女=自然関係は性差別を強化する「女のゲットー」と主張する立場が「ラディカルなリベラル・フェミニズム」です。


イネストラ・キングは、「文化フェミニズム」という言葉は、「歴史をつくるのは第一に経済力」と考えるフェミニストによってつくられたと論じています。
これは、マルクス主義の影響を受けた、マルクス主義フェミニズムもしくは社会主義フェミニズムの立場を指しているのだと思います。
歴史をつくるのは経済力であり、文化ではないという立場に対して、文化に誇りを持ち、文化を強調する立場が「文化フェミニズム」であると言えます。

文化フェミニズムは、男と女の違いを評価し、女を自然と同一視するイデオロギーを良しとし、フェミニズムとエコロジーとを一体化することを提唱しています。
イギリスの女性作家ヴァージニア・ウルフ(1882年-1941年)が、『三ギニー』(1938年)の中で「職業の隊列」で男世界に入りたくないと語ったように、文化フェミニストたちは女特有のものを評価し、男文化の一部となるのではなく、女独自の文化を創造することを目標としています。
イネストラ・キングによれば、文化フェミニズムとは「女のアイデンティティ運動」なのです。

文化フェミニズムの運動としての実践は、フェミニストのスピリチュアリティ運動から影響を受けたものであると、キングは考察しています。
フェミニスト・スピリチュアリティ運動(フェミニスト霊性運動)は、ユダヤ=キリスト教の超越的男神に対抗して、ギリシャ神話の女神など内在的な女神概念を称揚し、地球を一つの生命有機体と見る「ガイア仮説」を支持しています。
フェミニスト・スピリチュアリティ運動から発想を得て、文化フェミニストは音楽・芸術・文学・詩・魔女集会・コミューンなどのアクションで、女性と自然の一体化をたたえています。

しかし、イネストラ・キング自身が「女と自然を結びつけ、女は善で、男や文化の破廉恥行為とは無関係だ、と女をロマンティックに考えるのはどうだろう」と問いかけており、上述のとおり、女性を自然と同一視するイデオロギーを拒否する立場もあります。
イネストラ・キングは、近代フェミニズムの母と呼ばれるシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908年-1986年)について、この「ラディカルな合理主義フェミニスト」を代表する立場でると考察しています。
ボーヴォワールは、『第二の性その後-ボーヴォワール対談集』(1984年)の中で、次のように語っています。

女と自然との関係、女と母性本能、女と肉体のような古い女性観を強化する立場…女を古い役割にとどめようとする最近の動きは、たとえ、女の要求に応えるような譲歩をしても、女を静かにさせる常套手段といえよう。

なぜ、女のほうが男より平和を好むとするのか。男女両方の問題だと思う! …母親であることが平和のための存在を意味するとは。エコロジーをフェミニズムと同一視するのは、なにかいらだちを覚える。それらは自動的に一つではないし、同じものではまったくない。

ボーヴォワールは、初期の名著『第二の性』(1953年-1955年)の中で論じた、「男より女のほうが自然に近いとする決めつけは性差別の策略」であるという主張を、晩年においても強く語っています。
この立場にとっては、「閉鎖的なゲットー」である「自然の原始的領域」から、女性は解放されることによって、「自由」が得られるのです。
エコロジーをフェミニズムの課題とすることは、性別役割分業の強化につながる逆行であると感じているため、ボーヴォワールは「いらだちを覚える」のだと思います。


イネストラ・キングは、ラディカル・フェミニズムのうち、女性と自然の結びつきを是認するか・否認するかという視点から、二派に分類・比較した上で、さらに「社会主義フェミニズム」の立場を比較しています。

「社会主義フェミニズム」は、キングの定義では、「ラディカルとリベラルの合理主義フェミニズムとマルクス主義の伝統である史的唯物論の統合を目指す奇妙な混合物」です。
社会主義フェミニズムは、社会主義がリベラリズムを批判したのと同様に、リベラル・フェミニズムに対して政治経済分析や階級認識が足りないと批判しています。
社会主義フェミニズムは、社会経済権力の体制的不平等を克服すれば、男女同権の課題が達成できると考えています。

社会主義フェミニズムは、「再生産の自由」という発想から、「産む産まないは女の自由」という画期的な思想を生み出し、「自分の体を管理する」女の権利を主張しています。
この「産む産まないは女の自由」という思想は、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」(性と生殖に関する健康・権利)として、1994年にエジプトのカイロで開かれた国際人口開発会議(ICPD)で提唱され、現在では国際的にも認められています。
一方で、イネストラ・キングは、社会主義フェミニストは新しい生殖技術に対抗する理論が不十分であると考察しており、女性の再生産能力(=妊娠・出産能力)が、賃労働の一形態として市場売買されている実態を紹介しています。
キングは、代理母出産ビジネスのような「卵子や子宮を取引する女」を批判しているのではなく、仲介業者が罰せられるべきであり、明らかに重大な経済的・階級的問題があると語っています。

イネストラ・キングによれば、社会主義フェミニストも、ラディカルなリベラル・フェミニストも、政治・経済という「公」領域における男女同権という目標は同じであり、女性と自然の関係についての認識も同じです。
社会主義フェミニズムは、社会主義運動と歩を合わせているため、人間のあいだの支配には問題意識を持っていますが、人間の自然支配、さらに内なる自然支配(女性=自然関係)にはあまり注意を払っていないと、キングは論じています。

社会主義フェミニストは、マルクス主義理論に依拠して、上部構造(文化・再生産)より下部構造(経済・生産)のほうが重要だと考えているため、ラディカルな文化フェミニズムに対して、非歴史的で本質論者、そして非知性的であると非難しています。
しかし、「公」的領域において、権利や義務の平等が達成されても、「私」的領域の性差別はいまだに残り続けているという問題があるからこそ、ラディカル・フェミニズムが生み出された時代背景があります。
イネストラ・キングは、「社会主義フェミニストは、文化フェミニズムが認識した重要な真実を無視」することになると批判しています。


自然-文化二元論を超えたエコフェミニズム



イネストラ・キングは、文化フェミニズム、リベラル・フェミニズム、社会主義フェミニズムの各理論における、女性と自然の関係について検討した結果、どれも「二元論的思考」におちいっていると考察しています。
したがって、キングは、「自然」と「文化」の二元論を弁証法的に克服し、「自然と文化の架け橋」としてエコフェミニズムを提唱しています。
以上のイネストラ・キングによる分類に依拠して、リベラル、社会主義、文化の各フェミニズムの見取図を作成しました。(下図参照)


リベラル・フェミニストの、女性と自然を結びつけることは、伝統的な性差別を強化するという主張に対して、キングは次のように答えています。

フェミニズムの仕事は、男より自然と思われがちな女の活動が絶対的に社会的である、と主張することだ。たとえば、出産は自然だが(方法はひじょうに社会的)、母親業は絶対的に社会活動である。子育てにおいて、母親は、政治家や倫理家のように複雑な倫理的・道徳的選択を迫られる。フェミニズムの隆盛にもかかわらず、女はこれらの仕事を続けるだろうし、人間と自然の関係問題は、認識し解決すべきものだろう。(197頁)

このように、キングは、女性の伝統的な活動「母親・料理・癒し・農業・食糧調達」が「自然であり社会的である」と主張します。
文化フェミニズムにおけるスピリチュアリティは、社会主義フェミニストは「人民の阿片」として批判しますが、エコフェミニズムにとっては、超合理化による人間疎外に対する答えとして、キングは評価しています。
しかし、文化フェミニズムの「個人的な変化と力を強調して、個人的なものを政治的にする」傾向は、文化フェミニズムの「最大の弱点」であると論じています。
そのため、文化フェミニズムだけではエコフェミニズムの実践理論にはならず、社会主義フェミニズムの批判的視点をエコフェミニズムに取り入れる必要があると提案します。

人間と人間以外の自然の関連を認めて、心の政治と愛の共同体を文化フェミニズムと共有しよう。社会主義フェミニズムは、歴史の理解と変革に強力な批判的視点を与える。が、各々の「精神」-「自然」二元論は変わらない。いっしょになれば、それらは、自然と文化の新しいエコロジカルな関係をつくれるだろう。精神と自然、心と理性が力を合わせれば、地球の生命存在をおびやかす内外の抑圧システムを変えることができる。(199頁)

このような反二元論的で弁証法的な実践として、インドのチプコ運動(チプコ・アンドラン)と呼ばれる森林保護運動について、キングは紹介しています。
1970年代に、ガンジー主義の影響を受けた女性たちが、森林を伐採するブルドーザーに対して、チプコ(抱擁)という言葉どおりに、木に抱きついて、命がけで抵抗する森林保護の非暴力運動です。
イネストラ・キングは、チプコ運動は「反二元論的な力を持つ革命」と評価しています。

さらに、「フェミニズム健康運動」について、「自然との仲介的で弁証的な関係」の代表例として紹介しています。
20世紀前半からの出産の医療化と再生産技術(生殖医療)の進歩と独占は、女性同士で仲立ちしてきた自然分娩を男性が管理する分野に変え、資本主義の新たな利潤技術を生み出したと、キングは論じます。
日本における出産の医療化の歴史は、以前に『「お産」の社会史』で詳しく読みました。
日本では、女性同士の経験と相互扶助によって受け継がれてきた助産者(とりあげ婆さん)が、明治政府の産婆制度整備事業により、医学校で教育を受けた若い助産者(「新産婆」「西洋産婆」)に取って代わられ、旧世代の助産者は医師に「不潔」と見なされ、排除されていきました。

イネストラ・キングは、西洋科学・医療すべてを拒否すべきであると主張しているのではなく、「技術化に潜む利潤と管理」を問題と主張しています。
この問いかけは、前述の女性の再生産能力の市場売買(「卵子や子宮を取引する女」)の問題とつながっていると言えます。
キングは、便利な技術を拒否するのではなく、「技術介入がベストか、自分で判断できる力をつけよう」と呼びかけています。
近年日本では、「無痛分娩」によって、妊産婦が死亡したり、生まれた子が重い障害を負うなど、重大な医療事故が起きています。
キングの言うように、「専門家の世話に身をまかせ、わからないまま専門家に従う」ことを考え直し、危険な医療技術を選ぶことについて、「自分で判断できる力」をつけることは、重要な運動だと思います。

このように、エコフェミニズムの視座は、「自然にたいする介入と支配」という問題において、森林保護運動や環境汚染反対運動から、「自分の自然」(からだ=内なる自然)まで含むと言えます。
さらに、外見を気にして、まるで自分の肉体が天敵のように、危険なダイエットにいどむ実態について、イネストラ・キングは「女は男をよろこばせようと自分の体を支配する共犯者」であると批判しています。
自分の肉体を敵にまわし、「自然支配に加担」するのではなく、自分の体をあるがままに受け入れ、「自分の自然」とうまく折り合うことをキングは提唱しています。

キングが指摘するような、餓死するほどのダイエットについては、『女はなぜやせようとするのか:摂食障害とジェンダー』(浅野千恵、勁草書房)で詳しく読んだことがあります。
わたしは、母親業が「自然であり社会的である」ことと同様に、おしゃれをする、ダイエットする、筋肉をきたえるなど、女性が「自分の体を支配する」ことは、意識的な社会的活動だと思います。
女性は、さまざまなメディアから生き方モデルを学習し続けており、「女性はやせなければならない」という社会的イデオロギー(=「女らしい体であれ」という社会的圧力)を拒否して、自分の体をあるがままに受け入れ、自分の体と折り合いをつけることは、とても難しいことです。

このように考えると、イネストラ・キングが提唱するエコフェミニズムにおいて、社会主義フェミニズムと文化フェミニズムという対立する意見をどちらも取り入れた理由が分かりました。
環境汚染問題に取り組むなど、人間が外の自然と調和していくためには、社会主義フェミニズムの批判的視点が役に立ちます。
そして、わたしたち自身の内なる自然と折り合いをつけ、調和していくためには、文化フェミニズムの力に可能性があるのでしょう。
人間を内と外の自然に調和させるという目標は、イネストラ・キングが最初に提唱した、「世界的な真の生命尊重運動」(プロライフ)とつながっていると言えます。



2017/01/28

ハインリヒ・ハイネ「流刑の神々・精霊物語」

流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)
流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 1980/02/18

2016年10月15日の読書会で、ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々・精霊物語』(小沢俊夫訳、岩波文庫)を読みました。
ハイネは、『精霊物語』(1835~1836年)において、グリム兄弟の『ドイツ伝説集』(上巻:1816 年、下巻:1818 年)から引用して、古代ゲルマンの精霊たち(コーボルト、エクセ、エルフェなど)の伝説を紹介しています。

……よく言われることだが、ヴェストファーレンには、古い神々の聖像がかくされている場所をいまだに知っている老人たちがいるということだ。彼らは臨終の床で、孫のうちでいちばん幼いものにそれを言って聞かせる。そしてそれを聞いた孫は、口のかたいザクセン人の心のなかにその秘密をじっとだいている。むかしのザクセン領だったヴェストファーレンでは、埋葬されたものすべてが死んでしまうわけではない。そして古い樫の森を逍遥していると、いまでも古代の声が聞こえてくる。(『精霊物語』、7頁、岩波文庫)

「タンホイザーの歌」(ヴェヌスの山)―ハイネとワーグナーを比較


『精霊物語』では、騎士タンホイザーが女神ヴェヌスの山に入り、ヴェヌスの宮廷で過ごしたという「タンホイザー伝説」について、もっとも多くのページを割いて紹介している(92頁~最後121頁まで)ので、注目して読みたいと思います。
ハイネは、コルンマンの『ヴェヌスの山』(1614年)と、クレーメンス・ブレンターノ『魔法の角笛』(『少年の魔法の角笛』三巻、1806-1808年)からの引用という体裁をとっていますが、実際にはハイネ自身が改作した翻案詩となっています。

コルンマンの例にならって、わたしも精霊のことをのべたついでに、古代異教の神々の変容について語らざるをえなかった。彼らはけっして幽霊ではない。なぜならば、すでにたびたびのべたように、彼らは死んではいないからである。彼らは被造物ではなく、不死の存在であって、キリストの勝利ののちには地下の隠棲場所にひきこもり、ほかの精霊たちと同居して、悪魔的生活をおくらざるをえなかったのである。ドイツ民族のなかでもっとも独特で、ロマンティックで奇異なひびきをもっているのは女神ヴェヌスの伝説である。彼女はその寺院が破壊されたときに、秘密の山のなかへ逃げこんで、そこできわめて陽気な無頼の空気の精や、美しい森のニンフ、水のニンフ、そのほか突然に人の世から消え去った多くの有名な立役者たちとともに、奇怪きわまる歓楽の生活をおくっている。あなたがその山に近づくと、ずっと遠くからすでに満足げな笑い声や甘いツィターの音が聞こえてきて、まるで目にみえない鎖のようにあなたの心をしめつけ、あなたを山のなかへひきこむだろう。(91頁)

高貴にして善良な騎士タンホイザーは、
愛と快楽を得んものと
ヴェヌスの山へおもむき、七年間をすごした。

「ヴェヌスよ、わたしの美しい妻、
いとしい人よ、さらば、
今日をかぎりにそなたのもとを去ろうと思う。
いとまをもらいたい。」

「タンホイザーさま、わたしの高貴な騎士よ、
今日は接吻もしてくださらないのね、
はやく接吻してください。
いったい、わたしになんの不足がおありなの?
わたしは毎日あなたに
世にも甘美な酒をさしあげたでしょうに、
毎日あなたの頭を
ばらの冠で飾ってさしあげたでしょうに。」(103-104頁)

ボルヒマイヤーによれば、ハイネの『精霊物語』から直接インスピレーションを受けて、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は有名な歌劇「タンホイザー」(原題「タンホイザーとヴァルトブルクにおける歌合戦」)を執筆しました。
ワーグナーの「タンホイザー」は、1842年に当初は「ヴェーヌスヴェルグ Venusberg」(ヴェヌス山)という題名で作曲され始めます。そして、ワーグナーは完成した歌劇「タンホイザー」の劇詩の序文に、ワーグナー自身による「解説」を付しています。

古代ゲルマンの女神ホルダ、親しみのある、穏やかで慈悲深い女神、このホルダが毎年国じゅうを巡り歩くと、耕牧地は豊かに実ったものだが、キリスト教が導入されたことにより、ホルダは(ゲルマン神話の主神の)ヴォーダンや他の神々と運命を分かちあわねばならなかった。すなわち、神々に対する信仰は民衆の間に非常に深く浸透していたので、神々の存在や神々の持つ数々の不思議な力にまったき疑いを持たれることはなかったのだが、しかし、それ以前の女神の幸多き働きは怪しまれ、悪しき働きへと変えられてしまったのであった。ホルダは地下の洞窟、奥深い山々の中に追放されたのである。ホルダがそこから出てくると、それは災いをもたらすものとなった。(中略)ホルダという名称は、後にヴェーヌスに変わってしまった。この名称には、人を悪しき感覚的欲望へと誘惑する不吉な魔法の、ありとあらゆる観念がたやすく結び付いた。この女神の本拠地の一つは、テューリンゲンのアイゼナハ近郊にあるヘルゼルベルクの奥地である。ここがヴェーヌスにとっては淫蕩と快楽の宮廷であった。この宮廷の外にいてさえ、歓喜に満ちた音楽をしばしば聴くことができた。しかし、魅惑的なこの響きは、その心にすでに感覚的欲望を芽生えさせている者たちだけを誘き寄せた。つまり、彼らは楽しげに誘惑する響きに魅せられ導かれて、知らぬ間に山の中へ入り込んだのだ。―こうして騎士歌人タンホイザーの伝説は広まってゆく。(中略)この伝説によると、タンホイザーはヴェーヌスベルクに入って、ヴェーヌスの宮廷で丸々一年を過ごしたという。(山地良造「ワーグナーの歌劇『タンホイザー』とヤーコプ・グリムの『ドイツ神話学』」より)

ワーグナーは、ヤーコプ・グリム(1785-1863、 グリム兄弟の兄の方) が出版した『ドイツ神話学』(1835年)の影響を受けて、「タンホイザー伝説」に対するより深い考察を行っています。
『ドイツ神話学』の中で、「タンホイザーは長年山の中のホルダのもとで過ごしている」と引用されていることから、ワーグナーは、タンホイザー伝説に登場するローマ神話の女神ヴェヌスが、ゲルマン神話の女神ホルダと同化したものであると解説しました。
タンホイザー伝説のもともとの原話は、タンホイザーと女神ホルダの物語であったが、ホルダはヴェヌスと同化していったため、15~16世紀頃にホルダの名称はヴェヌスへと変わり、現在に伝わる物語となったと言えます。

※ネタバレ注意※

『精霊物語』に収録されている、タンホイザー伝説を改作したハイネの詩は、教皇から救済を拒絶されたタンホイザーが、ヴェヌスの山へ戻る結末です。

「わたしは彼女を全身全霊で愛しています、
激しく奔放な炎で愛しています。
これがもう地獄の火なのでしょうか?
わたしは神に永劫に罰せられるのでしょうか?

おお、聖なる父、法王ウルバンさま、
あなたは呪縛も救済も意のまま。
わたしを地獄の責め苦から、悪の力からお救いください。」

法王は両手を天に向けて高くあげ、
嘆きつつ言われた。
「タンホイザー、不幸な男よ、
魔法をうち消すことはできない。

ヴェヌスという悪魔は
あらゆる悪魔のうちでもっとも悪い。
その美しい悪魔の手から
そなたを救い出すことはできない。

そなたは今、みずからの魂で
肉の快楽の償いをしなければならない、
そなたは永遠の地獄の苦しみに突き落とされ、罰せられるのだ。」

騎士タンホイザーは旅を急いだ、足は傷だらけになった、
真夜中に
ヴェヌスの山に着いた。(『精霊物語』、113-115頁)

一方で、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」は、全く異なる結末を与えています。
ヴェヌス風の官能的な愛を讃美して罪人とされたタンホイザーの帰りを、故郷のエリーザベトは待ち続けます。
エリーザベトは、タンホイザーが教皇の赦しを得て戻ってくるようにと毎日マリア像に祈り続けますが、タンホイザーは帰らず、ついに自らの死をもってタンホイザーの赦しを得ようと決意します。
教皇に拒絶され、絶望して故郷に帰ったタンホイザーを、ヴェヌスが再び誘惑し、タンホイザーはヴェヌスへ引き寄せられていくところへ、エリーザベトの葬列が現れます。タンホイザーは我に帰り、異界は消滅しました。
エリーザベトが、自分の命と引き換えにタンホイザーの赦しを神に乞うたことを友人から聞き、タンホイザーはエリーザベトの亡骸に寄り添う形で息を引き取ります。ちょうどそこへローマからの行列が、緑に芽吹く教皇の杖を掲げて到着し、特赦が下りたことを知らせて幕が下ります。
教皇の手にある、枯れ枝でできた杖に瑞々しい緑が芽吹いたのは、タンホイザーの罪が許されたことの象徴です。
ワーグナーは、エリーザベトの自己犠牲によるタンホイザーの救済の成就を表現しているのです。

同じタンホイザー伝説を題材にしながら、ハイネの詩とワーグナーの歌劇が、全く異なる結末を与えているのは、その詩・歌劇を通じて読者・観客に伝えたいメッセージが、ハイネとワーグナーとは、それぞれ全く異なっていたためでしょう。


ハイネ「タンホイザーの歌」における風刺、皮肉、遊び心


ハイネの「タンホイザーの歌」には、タンホイザーが、イタリアからヴェヌス住む山へ帰る旅の道中、ヴァイマールやハンブルクなど、ドイツのさまざまな都市を見聞した内容が歌われています。

「タンホイザーさま、わたしの高貴な騎士よ、
ずいぶん長いお留守でした、
こんなに長いこと、どこを歩き廻っていらしたのか
どうぞおはなしください。」

「ヴェヌス、わたしの美しい妻よ、
わたしはイタリアに行ってきたのだ、
ローマで用事をすませて
急いでここへ帰ってきたのだ。(『精霊物語』、117頁)

聖ゴットハルトの峠に立つと、
ドイツがいびきをかいて寝ているのが聞こえた。
三十六人の独裁君主の保護のもとで
安らかに眠っていた。(118頁)

フランクフルトには安息日に着いた。
そしてシャレットとだんごを食べ、こう言ってやったのだ、
あなた方はいい宗教をおもちだ、
わたしも鵞鳥の臓物が好きですよ、と。(119頁)

詩人ミューズの未亡人の町ヴァイマールでは
しきりに悲嘆の声を聞いた。
悲しそうに泣き叫ぶのだ、ゲーテは死んだ、
だのにエッカーマンはまだ生きている、と。
ボツダムでは大きな叫び声を聞こえたので
どうかしたのですが、とわたしは驚いて尋ねた
「あれはベルリンのガンス教授ですよ、
前世紀について講義しているのです。」(119-120頁)

ツェレの刑務所ではハノーファー人しか見かけなかった―
おお、ドイツ人は!
我々には国家の刑務所が必要だ、
それにドイツ人全体に鞭が必要だ。(120頁)

善良な町ハンブルクには、
悪い連中がかなり住んでいる。
そして取引所へ行ったときには
まだツェレにいるのかと思った。

善良な町ハンブルクには、二度とふたたび足を踏み入れまい、
わたしはもうこれから、ヴェヌスの山の美しい妻のもとから離れまい。」(121頁)

中世の騎士であるタンホイザーが、ゲーテの死を嘆くヴァイマールを訪れるなど、とてもおかしく、ハイネの風刺と遊び心を感じますね。
このように、ハイネは「タンホイザーの歌」の中で、出版当時のドイツ諸都市(ゴットハルト、シュヴァーベン、フランクフルト、ドレースデン、ヴァイマール、ポツダム、ゲッティンゲン、ツェレ、ハンブルク)の政治や社会制度、民衆に対する風刺や皮肉を歌っているのです。

グリム兄弟は、ドイツの人々が語り伝えてきた民話を収集し、原話を忠実に採録した『ドイツ伝説集』や、キリスト教化以前の古代ゲルマンの神々を研究する『ドイツ神話学』を出版しました。
ハイネとグリム兄弟では、この原話に対して取り組む姿勢が、明らかに違うと思います。
ハイネは『精霊物語』において、「タンホイザーの歌」を中世の原話をそのまま採録したという体裁で、実際はハイネ自身が大幅に改作して、「タンホイザーの歌」を題材とした政治風刺詩に仕立て直しています。

ハイネの「タンホイザーの歌」には、ワーグナーが歌劇「タンホイザー」に付した解説のような、ローマの神々と同化させられた、古代ゲルマンの神々について深く考察する姿勢が欠けています。
おそらく、ハイネには、グリム兄弟のように、古代ゲルマンの神話・民話を本気で収集・研究する意図は、はじめからなかったのだと思います。

キリスト教批判として書かれた『精霊物語』・『流刑の神々』


『精霊物語』(1835-36年)の後に執筆した『流刑の神々』(1853年)では、ハイネは、ドイツ各地に伝わる幽霊や悪魔の伝説を紹介し、ローマの神々がキリスト教化以後に「悪魔化」させられたと論じています。
『精霊物語』で強烈だった、ドイツの社会・政治に対する風刺や皮肉は、『流刑の神々』ではあまり主張していませんが、キリスト教批判とローマ神話賛美というテーマは、『精霊物語』から『流刑の神々』へと引き継がれています。

『精霊物語』とテーマを同じくする『流刑の神々』においても、ローマの神々と同化させられた、古代ゲルマンの神々については、ハイネはほとんど論じていません。
ローマ帝国に支配される以前の古代ゲルマンの人々は、古代ゲルマンの神々を信仰していたはずです。
キリスト教公認以前のローマ帝国時代において、支配地域の広がりとともに、起源の異なる神々が同化し、人々の間で同時に信仰されていました。
ローマ帝国時代の諸宗教は混合主義であり、より勢力を持った宗教が、他の宗教を吸収し、同化する傾向にあり、この同化の過程は闘争や反発が少なく、互いに自由に伝説や教義上の慣例が交換されたと言われています。
そのため、ローマ帝国の文化・信仰の影響を受けて、古代ゲルマンの神々も、しだいにローマの神々と同化していったのだと思います。

そしてキリスト教化以後は、ローマの神々に対する信仰が失われ、キリスト教によってローマの神々は人々を誘惑する「悪魔」と変化させられ、民話や伝説の中に保存されたと、ハイネは『精霊物語』と『流刑の神々』で主張しています。

キリスト教が古代ゲルマンの宗教をどうやって抹殺しようとしたか、あるいは自分のなかにとりいれようとしたかというそのやりかた、また古代ゲルマンの宗教の痕跡が民間信仰のなかにどのように保存されているかということである。あの抹殺戦争がどのようにおこなわれたかは周知のとおりである。(『精霊物語』、60-61頁)

わたしはここでふたたび、キリスト教が世界を支配したときにギリシア・ローマの神々が強いられた魔神への変身のことをのべてみようと思っているのである。民間信仰は今ではギリシア・ローマの神々を、たしかに実在するが呪われた存在にしてしまっている。(『流刑の神々』、125頁)

古代のあわれな神々は当時屈辱的な逃亡をし、あらゆる可能な限りの覆面をして人間の住むこの地上に身をかくしたものだった。(127頁)

ハイネの考えでは、ギリシャ・ローマの神々は、キリスト教の主なる神によって創造された「被造物ではない」、「不死の存在」であるため、決して死ぬことはないのです。
「抹殺」できない存在であるため、キリスト教会では、ギリシャ・ローマの神々を「悪魔」「魔神」「呪われた存在」と位置づけました。
このように、キリスト教によってギリシャ・ローマの神々が「悪魔化」させられた過程を、ハイネは「流刑」と表現しています。
表題である「流刑の神々」とは、地下の洞窟や奥深い山々、秘密の隠棲場所にかくれて、今もなお生きているギリシャ・ローマの神々のことを意味していると言えます。



ハインリヒ・ハイネは、1797年にデュッセルドルフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれました。
フランス支配下のデュッセルドルフの町で、フランス革命後の自由・平等の喜びと、1815年以後の反動化の時代を体験し、「自由・解放」への強い思いを持って成長したのだと思います。
ハイネは、早くから「ユダヤ問題」を論じていて、ベルリン大学時代は「ユダヤ人文化学術協会」の活動にも参加しています。
しかし、1825年にハイネはプロテスタントに改宗します。
『精霊物語』や『流刑の神々』では、強烈にキリスト教を批判しているハイネ自身が、この時、なぜキリスト教に改宗したのでしょうか?

ハイネのプロテスタント改宗は、「ユダヤ教徒からもキリスト教徒からも憎まれる」結果となったと、ハイネは友人に手紙を送っています。
ハイネの改宗前、「ユダヤ人文化学術協会」の指導者ガンスの改宗に対して、ハイネは「裏切り者(背教者)」(Einem Abtrünnigen)と題した詩を歌っています。

君は十字架に向かって這っていった
君が軽蔑していた十字架に、
ほんの数週間前、君が、
芥の中にふみにじろうとしていた十字架に!(Einem Abtrünnigen、"Nachgelesene Gedichte"(1812-27)所収)

このように、ガンスの改宗を痛烈に皮肉し、批判していたハイネ自身が、今度は「十字架に向かって這っていった」のですから、友人たちの理解・賛同を得るのは、難しかったでしょう。

1824年頃からハイネはヨーロッパ各地を旅して、1831年にパリに移住しました。
ハイネが移住した前年の1830年に、フランスでは7月革命が起こっています。
パリ移住後のハイネは、空想的社会主義者サン・シモンの流れを汲むサン・シモン派の人々と交流し、「第三の福音」を提唱するサン・シモン派の新しい宗教論の影響を受けたと言われています。
プロテスタント改宗後の、「ユダヤ教徒からもキリスト教徒からも憎まれる」苦しい体験を経て、ハイネはユダヤ教でもキリスト教でもない、「新しい宗教」に希望を見出したのかもしれません。

『精霊物語』は、ハイネがパリ移住後の1835年から1836年にかけて、フランス人に向けてドイツの文化を紹介するために、フランス語で発表されました。
『流刑の神々』も1853年に、フランスの『両世界評論』誌に、フランス語で発表されました。

トイフェル(悪魔)は論理家である。彼は世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者であるばかりでなく、物質のあらゆる権利の返還を要求しているのだから人間理性の代表者でもあるわけだ。かくてトイフェルはキリストに対立するものである。すなわちキリストは精神と禁欲的非官能性、天国の救済を代表するばかりでなく、信仰をも代表しているからである。トイフェルは信じない。彼はむしろ自己独自の思考を信頼しようとする。彼は理性をはたらかせるのである!(『精霊物語』、69頁)

むしろたいせつなことは、ヘレニズム自身を、つまりギリシア的感情と思考方法を守護し、ユダヤ教、つまりユダヤ的感情と思考方法の伸展をはばむことだったのである。問題は、ナザレ人の陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的なユダヤ教が世界を支配すべきか、それともヘレニズムの快活と美を愛する心と薫るがごとき生命の歓びが世界を支配すべきであるかということなのだ。(82頁)

『精霊物語』において、ハイネはユダヤ教とキリスト教を、「陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的な」禁欲主義の宗教であると批判しています。
ハイネの考えでは、ユダヤ教とキリスト教の禁欲主義と対照的な存在が、「ヘレニズム」「ギリシア的感情と思考方法」であり、キリスト教によって「悪魔化」させられたギリシャ・ローマの宗教です。
ハイネは、ギリシャ・ローマの神々を、「世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者」であり、「人間理性の代表者」であると賛美しています。

ハイネはプロテスタントに改宗しましたが、改宗後の悲劇的状況を経て、『精霊物語』を執筆していた時には、もはやユダヤ・キリスト教の信仰から心が離れ、サン・シモン派の影響を受けた「新しい宗教」を精神的支柱としたのでしょう。
ハイネによれば、この「新しい宗教」は、「神々の民主主義国家を地上に建設」する宗教で、「地上の天国」を説いています。
ハイネの考える、現世主義の「新しい宗教」にもっとも近い宗教が、古代ギリシャ・ローマの神々であり、「ヘレニズム」「ギリシア的感情と思考方法」だったのだと思います。

このようなハイネの事情を考えると、『精霊物語』と『流刑の神々』における、ユダヤ・キリスト教批判とギリシャ・ローマ神話賛美も理解することが出来ます。
そして、『精霊物語』の「タンホイザーの歌」は、ハイネ自身の心情を歌った詩であると解釈出来るでしょう。
ハイネの「タンホイザーの歌」は、タンホイザーが教皇に救済を拒絶され、ヴェヌスの山へ帰るという結末です。
タンホイザーの「善良な町ハンブルクには、二度とふたたび足を踏み入れまい、わたしはもうこれから、ヴェヌスの山の美しい妻のもとから離れまい」という最後の台詞は、ハイネ自身の心情が重なっているように思います。
この台詞に、フランスに移住し、二度とドイツには戻らないというハイネの強い決意を感じます。
ユダヤ・キリスト教の支配から解放された、自由で「新しい宗教」を提案するハイネのメッセージは、タンホイザーが<ヴェヌスのもとへ帰る>という結末が、もっとも分かりやすく象徴していると思います。

「新しい宗教」において、ハイネのイメージする「地上の天国」「神々の民主主義国家」は、実現しようとすれば、社会主義的なものであることは明らかです。
しかし、新しい教会の建設、世界観の変革がどのような方法で確立されるかは、ハイネは語っていません。
ハイネは、サン・シモン派の宗教論に希望を見出していますが、経済理論の方には関心を寄せなかったと言われています。
ハイネにとっての革命は、社会的・政治的領域よりも、人々の世界観を変革することの方が重要だったのでしょう。
これは、ハイネがもともと素晴らしい詩人であったからこそ、「新しい宗教」による<世界観の革命>にこだわったのだと思います。

革命詩人ハイネは生涯、詩によって闘争を続け、ドイツの社会・政治、キリスト教、教会・僧侶階級、多くの論敵たちを攻撃しています。
もし、ハイネが経済理論や社会制度にもっと目を向けていたら、詩を武器とする革命詩人ではなく、武力革命を目指す革命家となっていたかもしれません。




参考:宮野悦義「ハインリヒ・ハイネ」(一橋論叢:61(4)、1969年)
山地良造「ワーグナーの歌劇『タンホイザー』とヤーコプ・グリムの『ドイツ神話学』」(帝京平成大学紀要:第26巻第2号、2015年)