2018/05/12

マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」

世界を織りなおす―エコフェミニズムの開花
世界を織りなおす―エコフェミニズムの開花
  • 発売元: 學藝書林
  • 発売日: 1994/03

アイリーン・ダイアモンド/グロリア・フェマン・オレンスタイン編『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』奥田暁子/近藤和子訳、学芸書林、1994年)の中から、第一部「歴史と神秘」に収録されている、マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」の要点をまとめ、考察したいと思います。
『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』の構成と目次については、イネストラ・キング「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」の記事内にまとめてあります。

マラ・リン・ケラー(Mara Lynn Keller)は、エール大学で哲学Ph.D.取得。1960年代から公民権・平和・女性運動で活動。サンフランシスコ州立大学で、哲学、平和学、女性学の講義を担当しているとのことです。(本書刊行当時)
「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」は、Journal of Feminist Studies in Religion, 4(no.1:Spring 1988)に掲載された同執筆者の論文"The Eleusinian Mysteries of Demeter and Persephone:Fertility,Sexuality and Rebirth"(デメテルとペルセポネのエレウシスの秘儀:豊穣・セクシュアリティ・再生)を短く書き直したものです。



「エレウシスの秘儀」とは?



マラ・リン・ケラーは、古代ギリシャの豊穣を司る女神デメテルと、デメテルの娘ペルセポネ(乙女の意味の「コレ」とも呼ばれる)の神話について取り上げ、デメテル信仰における「エレウシスの秘儀」を中心に論じています。
筆者は、ギリシャの詩人ヘシオドス(紀元前750-650年頃)の「ガイアへの賛歌」を引用して、デメテルもガイア同様に「大地母神」であったとし、「創意と努力で大地の実りと物質的な豊かさを増やすことのできる穀物栽培をギリシア人に教えた女神」と定義します。
このようなデメテルと、デメテルの娘ペルセポネの神話は「いつの時代にあっても、最も神秘的なこと-誕生・性・死-と最大の神秘である性の経験-永遠の愛-をあきらかにするもの」であると論じています。

古代ギリシャにおけるデメテル信仰の中心地は、アテネの北東に位置するエレウシスだったと言われています。
マラ・リン・ケラーによれば、ミケーネ文明時代(紀元前1600-1200年頃)の人々によって、紀元前1450年頃にデメテルを祀る神殿が初めてエレウシスに建てられました。
古代には、ギリシャの全土からエレウシスに参詣者が訪れ、「エレウシスの秘儀」と呼ばれる祭儀は、男女、老若、奴隷・自由民を問わず、あらゆる人々に開放されました。
マラ・リン・ケラーは、古代ギリシャの宗教的儀式の中で、この「エレウシスの秘儀」が最大の儀式であったとし、9日間におよぶ祭儀について詳しく紹介しています。
マラ・リン・ケラーが紹介する祭儀の様子をまとめると、下記のような日程になります。

祭りを告げる使者がアテネとエレウシスからギリシャ全土に送られ、あらゆる戦闘が二日間停止される。儀式が行われる9日間は、訴訟もすべて中止される。
1日目:「メリッサ」と呼ばれるデメテルの巫女たちが、奉納物を入れた籠を頭に乗せて、エレウシスのデメテル神殿から、アテネの城砦のふもとにあるエレウシス神殿まで、聖なる道に花や果物をまきながら歩き始めて、祭儀が始まる。
祭司によって公式に告知され、祭儀が開始する。祭司は、その前年の春に小秘儀に入信した者を招集し、今年の大秘儀に入信させる。
2日目:入信者はエーゲ海に行き、海水で身をきよめる。
3日目:女性、子供、国家の指導者、市民のために祈りが行われる式典の日。
4日目:癒しの神アスクレピオスに奉げられた日。
5日目:入信者と共同体とが、「イアッコス」と呼ばれる少年を先頭に、アテネからエレウシスまで大行列で行進。夕刻には、エレウシス郊外の特別な水場で身体を清め、たいまつを持って儀式を行うために集まる。女性たちがデメテルを讃えて踊り、夜を徹してお祭り騒ぎをする。
6日目:入信者は一人ずつ「からかいの橋」と呼ばれる、町の人々がからかったり、嘲笑したりする橋を渡って、デメテルの聖域に入る。
7日目-8日目:夜に秘儀が行われる。入信者はデメテル神殿に入り、秘儀の核心的な部分を経験する。
9日目:祈りと死者への献酒が行われ、祭儀終了。入信者は家に帰る。

7日目と8日目の両夜に行われる儀式について、確実に明らかになっていることは、入信者が入信式の最中に「燃えている大きな炎」を目撃したということです。
マラ・リン・ケラーの推測に従えば、儀式は次のような構成となります。

・入信者はデメテル神殿内の聖域である子宮のような穴(プルートニオン)に下りて行く。
・初穂を授けられる聖餐式への列席。
・デメテルとペルセポネの神話の一部の舞台化。
・二柱の女神の聖なる物語を題材とする「デメテルへの讃歌」の詠唱。
・自然の豊穣力を表すシンボル(人間の生殖器のシンボルやひと粒の麦)をデメテルにささげる。

この儀式を通して、入信者は「特別な視覚」を得て、「目が開かれる」経験をしたと、マラ・リン・ケラーは推測しています。

入信式のなかで、入信者は地下の世界に誘いこまれるような気持ちになり、病・苦・死に負けたことがあったのを思い出し(記憶の底や意識下にある苦しみ、あるいは民族の歴史が意識していない苦しみさえも思い出した)、悲しみに圧倒されるのであった。それから、癒しや聖なる結合に加えられたよろこびを経験し、新しい生命に出会うのである。
入信者はおそらく、地母神である女神、死の世界から帰還したペルセポネ、母と子の再会、生と死という自然の本質などを夢想したのだろう。(マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」、『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』より100頁)

このような幻視体験について、入信者の断食と祈り、そして期待が役立っただろうとマラ・リン・ケラーは推測します。
しかし、アルコール類や幻覚作用のある植物を使用していた可能性も十分に考えられます。
入信者は、「プルートニオン」(冥界への入り口)を下って、地下の世界=死者の世界を体験し、日の出と同時に暗黒の世界から、明るい地上の世界に戻ることによって、「死と再生の体験」をしたのだろうと、マラ・リン・ケラーは推測しています。

これらの儀式を通じて、入信者たちはデメテルとペルセポネの神話を追体験し、娘を死者の世界へ奪われた母デメテルの悲しみを感じ、娘が死者の世界から地上の世界へ再び戻って来る喜びを感じたのかもしれません。
マラ・リン・ケラーは、「エレウシスの秘儀」は「わたしたちの時代の神話」であり、「魂がたどる旅の教えは、時代や場所、年齢や性を超越する」と論じています。



古代ローマ時代のギリシャの著作家アポロドーロス(紀元1世紀~2世紀頃)は、伝統的なギリシャ神話と英雄伝説を記した『ビブリオテーケー』(Biblioteke、邦題は『ギリシア神話』)の中で、「エレウシース」の「秘教」について伝承しています。
このアポロードロスが伝承する「秘教」は、「エレウシスの秘儀」と同じ祭儀を指していると考えられます。
英雄ヘラクレスが、地獄からケルベロスを持ってくることを命じられ、冥界に行くために「エレウシースの秘教」に入会し、死者の世界へ降りて行き、死者の世界でペイリトゥースやテーセウスを助け、猛獣ケルベロスと武器を使わずに格闘するなど、冒険を繰り広げたことが伝承されています。

第十二番目の仕事として地獄からケルベロスを持って来ることを命ぜられた。これは三つの犬の頭、竜の尾を持ち、背にはあらゆる種類の蛇の頭を持っていた。これを目指して出発しようとして、秘教に入会させてもらう目的でエレウシースのエウモルポスの所へ来た。しかしその当時は異邦人は入会を許さなかったので、ピュリオスの養子となって入会した。しかしケンタウロスの殺戮から身を潔められていなかったので、秘教を見ることができず、エウモルポスに潔められて、それから入会を許された。そして地獄へ降りる道の入口のあったラコーニアーのタイナロンに来たり、この入口から降りた。(アポロドーロス『ギリシア神話』、岩波文庫、102頁)

アポロドーロスが伝承した伝統的なギリシャ神話を読むと、エレウシスに死者の世界への入口があると広く知られており、「秘教」=「エレウシスの秘儀」によって、死者の世界へ行くことが出来ると、人々に広く信じられていたことが分かります。
一方で、「秘教」に入信したヘラクレス自身が、デメテルやペルセポネを信仰したり、崇敬する様子は全く記述されていません。
したがって、ヘラクレスにとって「秘教」に入信することは、死者の世界へ行くための単なる手段であったと言えます。
実際に行われた「エレウシスの秘儀」においても、ヘラクレスと同じように、死後の世界に対する不安・恐怖、興味・関心から入信・参詣した人々が少なくなかったと言えるでしょう。

また、マラ・リン・ケラーが説明する「エレウシスの秘儀」と、アポロードロスが伝承した「秘教」とは、入信条件が異なっています。
マラ・リン・ケラーは、年齢・性別・階級を問わず、あらゆる人々に開放されていたと説明していますが、アポロドーロスは「その当時は異邦人は入会を許さなかった」と記述しています。
「その当時」と言うのは、英雄ヘラクレスが生きていた当時のことであり、<神話時代>とも言える古い時代のことでしょう。
したがって、アポロードロスが生きていた紀元1世紀~2世紀頃のギリシャでは、「エレウシスの秘儀」は異邦人にも開放されていたが、はるか昔の神話時代では異邦人は入信を許されなかったという意味になります。
ヘラクレスが生きていた<神話時代>が、実際の歴史年代に換算すれば紀元前何世紀頃に当たるのか分かりませんが、エレウシスのデメテル崇拝が太古の時代から続いてきたことは明らかです。



デメテルは死者の女王なのか?


エレウシスのデメテル神殿に死者の世界への入口があり、死者の世界へ行くための儀式が「エレウシスの秘儀」の核心的な部分であるとすれば、豊穣を司る女神デメテルの本来の職能とはかけ離れており、わたしは不自然であるように感じます。
穀物栽培を司り、実りをもたらしてくれる女神が、なぜこれほど「死」と結びつけて信仰されたのでしょうか?
マラ・リンケラーの議論では、このような問いを立てていないため、なぜ豊穣の女神が「死」を司っているのか、なぜデメテルの神殿に死者世界への入口があるのか、という考察が欠けていると言えます。
そこで、祭儀の由来であるデメテルの神話について、検討してみたいと思います。

デメテルとペルセポネの神話を伝える最古の記録は、古代ギリシャの『ホメロス風讃歌』(紀元前7世紀~7世紀頃)と呼ばれる作者不詳の讃歌集に収録されている「デメテル讃歌」です。
この「デメテル讃歌」において、デメテルの娘ペルセポネは冥界の王ハデス(「プルートーン」とも呼ばれる)によって誘拐されます。母デメテルは、嘆き悲しんで、行方不明の娘を探し歩き、その間は大地の実りがもたらされなくなります。
これに困ったゼウスのとりなしで、デメテルは冥界から娘を連れ戻しますが、ペルセポネは一年のうち三分の一はハデスの后として冥界で暮らし、三分の二は母デメテルと一緒に地上で暮らすことになります。
この有名な神話について、前述のアポロドーロスも『ビブリオテーケー』の中で伝承しています。

プルートーンはペルセポネーに恋し、ゼウスの助力を得て彼女を密かに奪った。デーメーテールは夜となく昼となく炬火を手にして彼女を求めて全世界をめぐった。ヘルミオーンの人々よりプルートーンが娘を奪ったことを知って、神々に対して憤怒し、天界を捨てて身を一婦人の姿に変じ、エレウシースにやってきた。そしてまずカリコロン(「美しき舞」の意)という井戸の側の彼女にちなんでアゲラストス(「笑いなさい」の意)と呼ばれる石の上に座った。それからその時のエレウシースの人の王であったケレオスの所に赴いた。家の内に二三の女がいて、自分たちの側に坐るようにと言った。その時イアムベーなる一老女が戯談を言って女神を笑わせた。これがためにテスモポリア祭で女たちは嘲罵をたくましくするのであると言うことである。

ケレオスの妻メタネイラに一人の子供があって、これをデーメーテールが引きとって育てた。彼を不死にしようと思って夜な夜な嬰児を火中に置き、必滅の人の子の肉を剥ぎとろうとしていた。デーモポーンは-これが子供の名であったが-日毎に驚くほど成長したが、プラークシテアーが見張っていて、火中に入れられているのを見つけて大声をあげた。それがために嬰児は火に焼きつくされ、女神は本身を顕した。
しかしメタネイラの子供の中での兄であるトリプトレモスに有翼の竜の戦車を造ってやり、小麦を与えた。彼は空を飛んで人の住んでいるすべての地にこれを播いた。しかしパニュアッシスはトリプトレモスはエレウシースの子であると言っている。というのはデーメーテールは彼の所に来たのだと主張しているからである。ペレキューデースは、しかし、彼をオーケアノスと大地との間の子であると言う。

ゼウスがプルートーンに乙女を地上に帰せと命じた時に、プルートーンは彼女が母の側に永く留まらないように、彼女に柘榴の粒を食べるようにと与えた。彼女はその結果がどうなるかを予見せずにその粒を食べてしまった。アケローンとゴルギューラの子アスカラポスが彼女に不利な証言をしたので、デーメーテールは冥府で彼の上に重い石を置いた。ペルセポネーはしかし毎年三分の一はプルートーンとともに、残りの時は神々のもとに留まることを強いられた。
(アポロドーロス『ギリシア神話』、36-37頁)

アポロドーロスが伝えるデメテル神話は、三つの物語から構成されていると言えます。

①母デメテルが冥界から娘ペルセポネを取り戻す物語。
②娘を失ってから、デメテルがエレウシースに滞在し、人間の息子を養育する物語。
③デメテルが穀物栽培をエレウシースのトリプトレモスに教え、トリプトレモスが穀物栽培をギリシャ各地へ伝える物語。

デメテルによってエレウシスに穀物が授けられ、農耕発祥の地となったという物語は、エレウシスがデメテル信仰の中心地となった起源を示していると言えます。
トリプトレモスは、デメテルがもたらした農耕という恵みをギリシャ各地へ伝える使者の役割を担っています。
古代ギリシャの壺絵の研究によれば、紀元前6世紀頃から農耕伝播の使者としてのトリプトレモスが盛んに描かれたと言われています。
トリプトレモスを盛んに描くことは、農耕発祥の地であり、各地へ農耕を広めた自国の偉大さを讃える、広告的イメージだったと推測できます。
したがって、デメテルがトリプトレモスに小麦を授け、トリプトレモスが穀物栽培を各地に伝える物語は、明らかに政治的意図があり、アテナイのプロパガンダ的神話と言えるのではないでしょうか。



冥界の王ハデスの妻となったペルセポネが、死者の女王と見なされ、「死」と結びつけて信仰されることは自然な流れであるでしょう。
一方で、デメテルは明らかにハデスの妻ではなく、死者の女王ではないにもかかわらず、上述したように「死」と結びつけられて信仰されているのはなぜでしょうか?
母デメテルが冥界から娘ペルセポネを取り戻す物語の解釈として、私は次の三つの解釈を考えます。

(1)デメテルとペルセポネは同一神格であった
(2)大地の四季(春夏秋冬)と人間の人生(生と死、世代交代まで)を重ねる
(3)デメテルとイシスが習合した



(1)デメテルとペルセポネは同一神格であった

デメテルとペルセポネは同一神格であると考えると、デメテル=ペルセポネ(コレ)は女性の一生を象徴する女神とし解釈することが出来ます。
コレ(少女)→デメテル(母)→ペルセポネ(祖母)
少女から母へ、母から祖母へと年齢を重ねて変化する女性の三相を表現した女神であると解釈すれば、ペルセポネ(コレ)が体験した出来事は、デメテル自身が体験した出来事であると言えるでしょう。

デメテルとペルセポネは一つの神格として考えることは、大地の四季(春夏秋冬)を象徴しているという解釈にもつながります。
マラ・リン・ケラーは、次のように説明しています。

この聖なる物語は、母と娘の二人の女神の関係を描いているが、同時に大地の豊穣・不毛・再生という自然の季節の循環や、誕生と成長から死後にいたるまでの人間の経験する周期をも説明している。(マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」、『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』より92頁)

コレ(少女)=春、デメテル(成熟した女性)=夏・秋、ペルセポネ(老女)=冬
少女から成熟した女性を経て、老女にいたる女性の一生を、春から夏へ、実りの秋から不毛の冬へという大地の四季に重ね合わせて解釈します。
ペルセポネが冥界の柘榴を食べてしまったため毎年三分の一は冥界に下るという定めは、一年のうちで、必ず厳しい冬が訪れる自然のサイクルを神話的に説明しています。
古代の人々は、一年を通して、温暖で実りのある季節が続いてほしいと願い、その願いに反して必ず冬が訪れる理由を必死に考えていたことでしょう。
そして、豊穣の女神は必ず老いて死ぬ運命であり、女神が冥界に留まっている間は冬枯れの季節となるのだ、と理解していたのかもしれません。


(2)大地の四季(春夏秋冬)と人間の人生(生と死、世代交代まで)を重ねる

このデメテルとペルセポネの物語を、<女性の一生>の象徴というだけでなく、<すべての人間の人生>を表現していると解釈することはできないでしょうか?
デメテルとペルセポネ(コレ)を、一つの神格として考えずに、母と娘、それぞれ別の神格として考えれば、全く違った物語の解釈が出来ます。

冥界の王ハデスによって、ペルセポネが死者の国へ連れ去られたということは、突然訪れる「死」を意味すると解釈することが出来ます。
母デメテルは、愛する娘が突然「死んでしまった」からこそ、激しく嘆き悲しみ、各地を旅して「喪」の期間を過ごすのです。
一度死んでしまった娘は、二度と生き返ることはないと知っていたから、母デメテルは養子を育てたと言えます。

ペルセポネが人間的な意味で「死んだ」と解釈すれば、物語の結末で、ペルセポネが地上に帰ってくる筋書きはどのように理解すべきでしょうか?
現実の人間にとって、死は一回限りの出来事であり、繰り返し経験するものではなく、決して蘇りは起こりません。
養子を育てるなど、長い「喪」の期間を終え、母デメテルは再び新しい子を産んだと考えてはどうでしょうか。
最初に死んだ娘が生き返ったというよりも、新しい娘を迎えたと解釈する方が自然だと思います。

人間が子孫をつなぐことによって、世代から世代へ「死と再生」を繰り返していくことは、枯死の冬を乗り越え、再び芽吹きの春を迎える大地のサイクルとぴったり重なり合います。
このように、蘇りの出来事が、「出産」を意味していると考えれば、デメテルが古代の人々に出産の守護神として崇敬され、ペルセポネの添え名が「産婆」であったことと一致するのです。

農耕のための地母神祭儀とともに、古代の人びとは性的結合と新しい人間の誕生を通して、共同体の再生を祝った。デメテルの祭儀は「作物の成長と人間の子孫の繁栄に関して同じ意図をもって行われた」と言われている。母娘の女神を信仰する宗教のおもな目的の一つは、生殖力と女性の人生における成長のパターンを娘に教えることであった。デメテルが出産の守護神であったように、ペルセポネの添え名の一つは「産婆」であった。(マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」、90頁)

古代にあって、「出産」は命がけの出来事であり、産婦や乳幼児の死亡率は現在よりもはるかに高かったことは間違いありません。
出産を見守る「産婆」は、産婦や産児の「生と死」の両方を見届ける役目を果たしていたのかもしれません。
以上にように解釈すれば、デメテルが「出産」と「死」の両方を司る女神として、多くの人々の信仰を集めていた理由が説明できるでしょう。



(3)デメテルとイシスが習合した

さらに、(1)及び(2)で論じた、物語の解釈から離れて、外来の宗教の影響について考えます。
マラ・リン・ケラーは、「デメテルはエジプトのイシスと近い関係」にあるとし、エーゲ海のデロス島ではデメテルとイシスを並べて礼拝していたと紹介しています。

マラ・リン・ケラーのによれば、デメテルが娘を冥界から取り戻した神話と、イシスが亡夫オシリスの遺骸を集めて、夫を生き返らせた神話とが共通しており、この二柱の女神は「穀物と文明の法則を与える神、癒し手、死者の女王、生命の復活」という神秘をもたらす神として崇敬されていました。
アポロドーロスの『ビブリオテーケー』において、イシスは次のように伝承されています。

イーコナスの後裔である娘イーオーは、女神ヘーラーの祭官を務めていたが、天空を支配する神ゼウスに犯され、ゼウスの子を身籠る。
ゼウスの姉であり妻であるヘーラーの怒りから逃れるため、イーオーは広大な地域をさまよい、ついに海を渡ってエジプトに至る。
エジプトで息子エパポスを出産するが、ヘーラーのたくらみで子供は行方不明になり、イーオーは全シリアをさまよい歩いて子供を探す。
シリアのビュブロス王のもとで育てられているエパポスを発見し、イーオーは子供とともに再びエジプトに赴き、エジプト王テーレゴノスと結婚した。
そして、デーメーテールの像を建てた。
そのため、エジプト人はデーメーテールをイーシスと呼び、またイーオーをも同じ名で呼んだ。
エパポスはエジプトに君臨して、ナイルの娘メムピスを娶った。
(アポロドーロス『ギリシア神話』第二巻1章3節より抜粋)

古代エジプトにギリシャのデメテル信仰が伝道され、エジプトの人々はデメテルを「イシス」と呼び、また伝道者であるイーオーをも「イシス」と呼んだとアポロドーロスは伝承しています。
アポロドーロスにしたがえば、エジプトにおいてデメテルとイシスは習合し、二柱の女神は同一神格として崇敬されていたと言えます。

ローマ時代の弁論作家ルキウス・アプレイウス(123年頃-没年不詳)は、ラテン語小説『黄金の驢馬』の中で、イシス信仰に入信した主人公が、イシスの祭儀を受ける様子を詳しく描いています。
『黄金の驢馬』において主人公ルキウスは、「天上の女神よ、御身は慈母ケレースと呼ばれ、地上の作物の創造主であります。御身は御娘を探し出した喜びから、太古の食料だった樫の実の代わりに、それよりももっと甘い食物を授けて、未開の人々を養い、今日でもエレウシースの野に住み給う」と、イシスを賛美しています。

ローマ神話の豊穣を司る女神ケレースは、古くからギリシャ神話のデメテルと同一視されていました。
『黄金の驢馬』では、イシスをケレース=デメテルと同一視するだけでなく、「神々の母ペシヌンティア」、「ミネルウァ」、「ウェヌス」、「ディアーナ」、「プロセルピナ」、「ユーノー」、「ベッローナ」、「ヘカテー」など、起源の異なるさまざまな女神とも同一視しています。
アプレイウスの考えでは、さまざまな地域で崇敬されている多くの女神たちの全てがイシスであり、イシスこそ本来の名前であると語られています。
しかし実際に、イタリア半島にイシスの信仰が入ってきたのは、紀元前3世紀末~前2世紀初め頃と言われています。
ローマ時代は、帝国の版図拡大によって、勢力をもった宗教が、その教義本来の純度を失い、他の宗教を吸収し、同化する傾向にあったと考えられています。

アポロドーロスの『ビブリオテーケー』、アプレイウスの『黄金の驢馬』をふまえて考えると、デメテルとイシスは、マラ・リン・ケラーが指摘するような「近い関係」と言うよりも、同一視され、習合していたと言えます。
デメテルとイシス、どちらの神がより正統的であるかという議論は、信仰された時代や地域によって立場が異なるでしょう。
アプレイウスの生きた時代では、外来の宗教であるイシス信仰の方が、より人気があり、勢力が強かったのだろうと推測できます。

イシスは、殺害され、バラバラに切断された夫オシリスの遺骸を探し集め、繋ぎ合せて、亡夫を蘇らせます。
オシリスは、イシス自身の神秘的な力や秘術によって蘇るのであり、イシスは「生と死」を操る魔術の神と言えます。
一方、デメテルは娘が冥界へ連れ去られたとき、独力では取り戻すことが出来ず、諦めて養子を育てます。
ペルセポネが地上に戻ることになるのも、ゼウスのとりなしがあったためです。
イシスと比較すると、デメテルは死者を蘇らせる特別な力を持っている女神ではないのです。
娘が一度死んでしまったら、自分の力で蘇らせることは出来ず、養子を育てるしかない、というデメテルの物語は、女神の物語ではありますが、より人間的な真実味があり、まさに現実の母親の生き方を象徴していると言えるでしょう。

デメテル信仰における「エレウシスの秘儀」と、『黄金の驢馬』で描かれているイシス信仰の祭儀は、共通性があります。
本来のデメテルに特別な力が無く、現実の女性たちに近しい女神だったと考えると、「エレウシスの秘儀」において、入信者たちが神秘的で特別な体験をすることは、不自然に思えます。
デメテルとイシスが習合し、同一視されたことによって、イシスの持っていた神秘性や「生と死」を操る特別な力を、デメテルも持ち合わせることになったと考えられます。

以上のとおり、(1)及び(2)の物語解釈にあわせて、イシス信仰の影響が加わり、デメテル信仰はより「死」が強調された可能性があります。
それにより、人々はより神秘的な体験を求めて特別な祭儀を行うようになり、「死と再生」を疑似体験する「エレウシスの秘儀」へと発展したのだろうと考えられます。



デメテルとペルセポネの神話を読み直す


これまで検討してきた、デメテルとペルセポネの神話について、マラ・リン・ケラーは「家父長制以前の物語として再解釈」することを提案しています。
マラ・リンケラーは、冥界の王ハデスによってペルセポネが連れ去られた出来事を「ペルセポネの誘拐とレイプ」と衝撃的な言葉で表現しており、「家父長制時代になって強調されるようになった物語」であると論じています。
マラ・リン・ケラーの主張は、エコフェミニスト思想家のシャーリーン・スプレトナクの著作に依拠しています。
『世界を織りなおす-エコフェミニズムの開花』には、シャーリーン・スプレトナクの論文「エコフェミニズムーわたしたちの根と開花」も収録されています。

エコフェミニズムにいたる第二の道は、一般に女神の宗教とされる自然を基盤とする宗教にふれることである。1970年代半ばに、ラディカル・フェミニストは歴史的、人類学的源泉を通して、女性を崇敬し、自然そのものを「知識の源」としているように思われる宗教を発見するという心躍る経験をした。(シャーリーン・スプレトナク「エコフェミニズムーわたしたちの根と開花」、32-33頁)

それが実際に始まったのは、ユーラシアのステップ地帯の遊牧民がインド・ヨーロッパ語圏を侵略し、ヨーロッパ・中近東・ペルシア・インドにあった、自然に基盤をおき女性を崇拝する女神宗教にかえて、自分たちの破壊的な男性神をもちこんだ紀元前4500年ごろのことである。かれらは、神聖であるとされ崇敬されていた女神を、地球の生命のプロセスから遠く離れた、全能の、天の神の領域へと移したのである。(同、41頁)

シャーリーン・スプレトナクは、古代の女神信仰を再評価することによって、「神をわたしたちに内在する存在」として発見し、女性と自然の絆を回復し、女性のエンパワーメントにつながると主張しています。
このようなシャーリーン・スプレトナクとマラ・リン・ケラーの立場は、「ラディカルな文化フェミニズム」に分類できるでしょう。
フェミニズムの思想・運動の中では、女性と自然の結びつきを否認する立場と、女性と自然の結びつきを積極的に肯定する立場で大きく主張が対立しており、イネストラ・キング「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」の記事の中で、詳しく比較・分類を図示していますので、ご参照ください。


マラ・リン・ケラーが「家父長制以前の物語として再解釈」したデメテルとペルセポネの物語は、要約すると次のような筋書きです。

デメテルとペルセポネは美しい大地に恵まれ、ともに作物が育つのを見守っています。ある日ペルセポネは、苦しんでいる死者たちの魂を慰めるため、自ら冥界に通じる穴に入り、死者の祭儀を行います。一方、デメテルはペルセポネの不在による悲しみから、作物が育たなくなります。ペルセポネは地上へ戻ることを決心し、ペルセポネの帰還によって、畑の作物が成長します。
以後、ペルセポネが死者の国へ行く時には、彼女のいない寂しい季節をデメテルと人間が分かち合い、春になってペルセポネが母のところへ帰ってくると、活気づくのです。

マラ・リンケラーが再解釈したデメテルとペルセポネの物語には、冥界の王ハデスにペルセポネが突然連れ去られるエピソードが削除されています。

本稿でわたしが訴えたかったのは、初期には母親を中心とする画期的な時代があったのが、その後母と子の分離と誘拐が行われ、この古代の生のあり方が死んだことを思い出してほしいということである。その時代のあとに、わたしたちが家父長制と考えている時代が長期間続いてきた。(マラ・リン・ケラー「エレウシスの秘儀―デメテルとペルセポネを崇拝する古代自然宗教」、101頁)

マラ・リンケラーが言う「母親を中心とする画期的な時代」とは、「母権の時代」を指していることは明らかです。
したがって、ハデスによってペルセポネが連れ去られた物語は、母権(母系)の共同体に対する、父権(父系)の侵略を反映したものだとして解釈しています。
このようなマラ・リン・ケラーの議論の前提には、ヨハン・ヤコブ・バハオーフェン(1815年-1887年)の『母権論』(1861年)があると言えます。
スイスの法学者であったバハオーフェンは、古代法の研究から、ギリシャ神話における女神に着目して、女性が権力を有した「母権性」が古代社会で存在したと主張しました。
バハオーフェンの著作は、その後の古代の女神研究に大きな影響を与えましたが、人類学におけるフィールドワーク調査が進むにつれ、小数民族などの「未開社会」にも完全な母権制は存在しないことが明らかになり、母権制の実在について疑義が呈されています。

考古学においては、新石器時代の偶像として、女性像が多く発掘されており、その中には妊娠した女性を象ったものも見られます。
この女性像から、「生命を生み出す女性」を女神として崇めていたことが推測できますが、女神を崇拝することと、女性が権力を有する社会制度であることは、全く別の問題だと言えます。
女神を崇拝していたとしても、現実の女性の地位が高いかどうか、共同体の中で尊重されていたかどうかは分かりません。
先史時代の女神像は、女神を崇拝していた証拠と言えるかもしれませんが、母権制を示す証拠とは決して言えないのです。

シャーリーン・スプレトナクやマラ・リン・ケラーの議論は、バハオーフェンの母権論を受け継ぎ、古代の女神崇拝の事実と、母権制を混同しており、女性を敬い、自然と調和した平和な時代があったと、先史時代を理想化しています。
先史時代における母権社会の実在が不明にもかかわらず、平和な母権社会を、戦闘的な父権社会が破壊・征服したという議論は、推論に推論を重ねた主張であると言えます。
先史時代の女性像が、平和な母権社会で作られたという証拠は全くないため、戦闘的な父権社会で作られた可能性だってあるのです。
そもそも、女神を象ったとされる女性像が、誰が何の目的で作ったものかをはっきり示す証拠はないのであり、女神を象ったという説も、推論に大きく拠っています。
日本においても、妊娠した女性を象った縄文時代の土偶が東北地方から出土されていますが、女神を象ったという説だけでなく、死亡した妊婦を埋葬する時に供えた、葬送儀礼の道具だったという説もあります。

シャーリーン・スプレトナクやマラ・リン・ケラーは、女神を崇拝する母権社会、男神を崇拝する父権社会という二元論で論じていますが、女神を崇拝する父権社会があったと考える方が自然ではないでしょうか?
古代ギリシャや古代ローマは、極端な男性中心的社会でありながら、多くの女神を崇拝しており、まさに女神を崇拝する父権社会であったと言えます。
ギリシャのアテナイは、その名前の通り、女神アテナを守護神として崇敬していました。
女神アテナは、常に武装した女性として描かれ、英雄たちを守護する戦いの女神であり、知恵の女神でもあります。
父権社会が女神を守護神とすることは、母のごとく男性たちを守る女神アテナのイメージを考えれば、矛盾なく説明できます。
女神アテナは、男性の側に立った、男性のための女神であり、現実の女性たちの地位や生活とはかけ離れた存在だったと言えるでしょう。

夫と子を持たない女神アテナと比較して、農耕を司り、実りをもたらす女神デメテルは、子を産み育てる母親の象徴であり、女性の側に立った、女性のための女神であったと言えます。
古代ギリシャにおいて、デメテルに捧げられた祭儀は、上述の「エレウシスの秘儀」だけでなく、「テスモフォリア」がありました。
古代ギリシャの各地で行われていた「テスモフォリア」は、きわめて古い祭儀であり、秋の播種の時期に3日間にわたって開催され、市民の妻たちが参加しました。
女性たちは、家を出てアクロポリスのふもとの集会所に集まり、豊穣と子授かりを祈願したと言われています。
男も女も参加した「エレウシスの秘儀」とは異なり、「テスモフォリア」は女性だけが参加しました。
「エレウシスの秘儀」が「死」を意識する祭儀だったとすれば、「テスモフォリア」は大地の実りと重ねて、自分たちの生命を育む力を意識し、女性への敬い、女性同士の相互扶助を強める祭儀だったと推測できます。


以上のように考えると、冥界の王ハデスにペルセポネが連れ去られた物語は、「ペルセポネの誘拐とレイプ」として解釈し、家父長制時代に挿話されたと勝手に貶めるのではなく、古代の女性たちの人生や死生観を反映した物語として、そのまま受け入れるべきだと思います。
前項で、この物語の解釈を検討した通り、冥界に突然連れ去られるということは、「死」の象徴であると考えて、突然訪れる不条理な死の悲しみを描いた物語として解釈する方が、わたしは自然であると考えます。

マラ・リン・ケラーが再解釈した物語では、ハデスを排除しているため、ペルセポネが自ら死者の国へ赴きますが、これは現実的に考えれば「自死」にほかならないため、非常に不自然に思えます。
古代の人々にとっても、現代のわたしたちにとっても、「死」は自分の意志に反して、突然訪れる不条理なものと考える方が自然で、真実味があります。
古代の社会は、マラ・リンケラーが論じているような楽園や理想郷ではなく、妊産婦や乳幼児の死亡率がきわめて高く、平均寿命も短く、飢えや病、猛獣や災害、土地をめぐる争いなどで「死」が身近な極限状況だったと考えるべきです。

デメテルとペルセポネの物語を現実に即して解釈すれば、ハデスに連れ去られた時点でペルセポネは亡くなったと言えるでしょう。
娘を突然亡くした母デメテルの嘆きは深く、死んだ娘を蘇らせることはできないため、養子を育てることに決めるのです。
デメテルが嘆きながら放浪した旅は、娘の死を受け入れるための「喪」の期間を表現していると言えます。
デメテルは養子を育てますが、実母が邪魔したことにより、養子の命も失ってしまいます。
実母の立場からすれば、養母が自分の子に対して、恐ろしい虐待をしているように見えたのです。
当時でも、養子を育てるにあたって、実母と養母の間の不信やトラブルが多かったため、神話の中に投影されたのかもしれません。
デメテルはその後、ゼウスの計らいによって、ペルセポネを取り戻します。
これは、すでに述べたとおり、最初に亡くなった娘が蘇ったというよりも、デメテルが長い「喪」の期間を終え、再び新しい子を産んだことの比喩であると考えられます。
このように解釈すると、デメテルとペルセポネの物語を通して、古代の女性たちが実際に体験した、我が子を喪う耐えがたい悲しみ、養子を育てる難しさ、一人目の子の死を乗り越えて、再び子を産む強さ、たくましさを感じるのです。

マラ・リン・ケラーは、「エレウシスの秘儀」に着目し、デメテル信仰を積極的に評価することで、現在の女性を敬い、女性と自然の絆を回復させることを目的としています。
そのような目的は理解できますが、デメテルとペルセポネの物語を再解釈するとして、勝手に筋書きを大きく変えてしまうことは、もはや二次創作であり、再解釈ではなく誤読であると言えます。
古代の女神信仰や祭儀を紐解くことで、女性のエンパワーメントにつながるインスピレーションを得るのは良いと思いますが、古代の物語に対する敬意が必要であり、勝手に貶めたり、物語を捻じ曲げてはならないと思うのです。
デメテルとペルセポネの物語からは、当時の女性たちが敬われていたとか、権力を有していたとかは一切分かりませんが、自分たちの「生と死」に向き合い、必死で生きていた現実が伝わってきます。
ありのままのデメテルとペルセポネの物語の中に、古代の女性たちの真実が表現されているのだと思います。





参考:アポロードロス『ギリシア神話』(高津春繁訳、岩波書店、2015年)
アープレーイユス『黄金の驢馬』(呉茂一・国原吉之助訳、岩波書店、2013年)
庄子大亮「古代ギリシアにおける女神の象徴性:アテナ、アルテミス、デメテルを例に」(西洋古代史研究、2011年)